見出し画像

創作を人に見せる原点ってここだったんだ

 閲覧いただきありがとうございます。

 コメント欄を閉じていたりと、noteの運用は悩むことがたくさんです。

 ただ書きたいこと書いて投稿しているように見えると思うのですが、実際そうなんですw

 ただ書きたいこと書いてるから逆に何を目指していけばいいのか分からなくて悩むんです。

 そして、15歳で高校進学を機に手に入れたガラケーで始めた、最古のSNSであるmixi、GREE。これらを始めてから私には承認欲求という感覚が生まれはじめ、穴の開いた器に水を入れるような日々が始まりました。

 そして、29歳になり、「そもそも、スキ・いいねの数、フォロワー数、褒め・共感のコメントでは、承認欲求は満たせないのでは?」ということに推しのカウンセラーさんと話して気づきました。

 強い承認欲求を持つ素養ある人間がSNSをはじめるというのは、そっこに穴の開いた承認欲求の器を装備するということです。

 わたしにはその素質があったようです。

 発信して有用な情報だと思ってほしい。という気持ちはあるものの、それを推しはかるのに、目に入ってくるのは、スキ・いいねの数、フォロワー数。褒め・共感のコメント、ビュー(noteのビューはPVではないことを普及させたい委員会)といった、数字です。ここで、コメントがあるじゃん、と思うじゃないですか。

 わたしは、理解して理解して理解して理解して理解してという気持ちで書いていたと気づきました。そのため、おもしろくないコメントがつくくらいなら閉鎖してしまえ!!とコメント欄を閉鎖しています。

 ここまで分かってきて、友だちのちーちゃんに相談しました。

 まず、有用な情報、というのが漠然とし過ぎているということ。

 有用を調べてみたところ、「効果があるもの」と書いてありました。

 ちーちゃんは、いつも、わたしの記事をうんうんとおもしろがって、理解を示してくれます。

 ちーちゃんは、「花ちゃんの良い所は気づきだよね。その気づきが自分にない視点でキュンとさせられるんだよね」と言ってくれました

 キュンというのは、わたしたちの独自の感性を打ち抜かれた時に使われる言葉です。

 そういえば、主治医には気づきは天才的だと言われたことがあります。

 観察→ひらめき・きづき→分析→言語化というのがキモチエ~流れです。

 理解して理解して理解して、というのはいったんおいておいて、コンセプトが思いつきました。

「ちーちゃんのように、独自の感性を大事にしていて、自分にない視点を楽しめる人に、こんなの気づいたよ、キュンじゃない?」って伝えるために発信したい。

 それに気づいたときに、そもそも、創作を発表するコンセプトについて思うところがありました。

「こういうものを創ったよ、キュンじゃない?」

 こういうことじゃないかなと思いました。

 ずっと、創作を発表する目的がわけがわからなくて苦しかった。

 わたしは、わたしの気づきから生まれたキュンを伝えたい!

 理解して分かって理解して理解してのわたしはおしまい!

 ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!