THE FIRST SLAM DUNKという名の感情爆殺装置
評判に釣られて観に行ったら、ダメなやつだった。感情を粉々に砕かれた。
原作は何度も読んでる。なんなら雑誌で追っかけてた。
当時の連載の、佳境に差し掛かってるあたりは、読者も作者も出版社も書店も、まとめてが長いゾーンに入ってたんじゃないかってくらいのボルテージだったと思う。
不思議な現象だけど、一週間に一度、そのペーパーバックの雑誌を開いたときだけ、世界の時間が前に進む感覚だった。
漫画「SLAM DUNK」は、少年誌らしからぬリアルな絵で食わず嫌いして序中盤は読んで無かったけど、終盤は、展開わからなくても誌面から伝わる尋常じゃ無い迫力の圧で、気がついたら読んでた。
前置きはそのくらいにして、まあ今回の映画である。
冒頭、ズンズンくるバンドサウンドとともに、描かれるのは、ヤツらだ。
どんな人物だったか、どんなエピソードを持ってたか。細かいことは案外覚えていない。
でも力のある絵と、魂のノッたその顔には、そいつらがこれから何をやらかすのか、考えただけでワクワクさせるパワーがある。
そして、物語がはじまる。
「SLAM DUNK」という物語が、いったいどれだけ強靭無比なものであるか完全にわからされた。
こんなヤツらのこんな物語をこんな見せ方されたら、もう駄目なのである。
絵だけでもやばい。声だけでも震える。躍動なんてされたらもう逃げ場はない。
全部の映像技術で殴られる。
そのとき、バッシュがコートを踏むただ一歩に、選手の顎をつたう汗の一雫に、決断の眼差しに、宙を舞うボールが描く円弧に感情が爆殺されたのだ。
最後のほうはもう、感情がカンストしっぱなしだった。
オリジナル要素はあれど、本筋部分の展開は知っている。だからこそ、「今起こっているドラマ」と「このあと起こることがわかっている展開」の両方にボコボコにされつづけるのである。
他方、スラムダンクを体験する最初がこの映画という人を羨ましくも思った。
この、年経てなおまるで摩耗しないとてつもないパワーの物語を、この映像技術で、スクリーンで最初に体験するインパクトはどれほどのものであろうか?
この物語をあらかじめ知っててよかったという感覚と、知らなければ良かったという感覚を同時に味わえるのはすごいことだ。
いやぁ、ほんとに今こうやって冷静ぽい文体で感想書いてますが観た直後は、アウトプットする全ての語彙は吹っ飛び、ただスマホを操作して10 FEETの『第ゼロ感』を再生し、そのビートにたゆたうことしか出来なかった。
あぁ、何かを全存在をかけてがんばるのっていいなぁ。
家に帰って余韻を心に乗せてコーヒーを淹れた。