【あとがき】 あいまいな過去 1~3
この『あいまいな過去』は、もともとmixiで書いていたものに、加筆、修正を加えているものです。(3は今回初めて書いたもの)
正直なところ、当時の記憶はとてもあいまいで、時間も前後していたり、そもそも記憶からなくなっていたりで、こうして書く当時の事がどこまで事実通りなのかと思います。
(例えば、夏休みの宿題、スイミングスクールのあれこれとか、何となく記憶している事が実は当時の決定的な要因のひとつなのかもしれない)
それでも、こうして書き出すことは何か意味があるのではないか、意味が出てくるのではないかと信じて今回またこうして書き出しています。
行動しなければ始まらない。
これもまた、そういう事のひとつとしてやっていきます。
1)
具体的な引越しの内容は、天草から熊本市への引越しでした。
本人的には、都会に来て謎の気合が入っていたんでしょうか。
普通とか、出来なければとか想い出したのが何時だったのかは分かりません。
気付いたらこの呪いは僕を支配していました。
そして今も僕は、この呪いに悪戦苦闘中なのかも。
(他の呪いもあったりの毎日ですが)
一歩引いて自分を見ている感覚は今も時々あります。
この感覚、気持ちの良いものではないし、相手に対しても申し訳ない気持ちになります。
(あと、目の前の相手がどんどん遠くなる感覚も(汗))
2)
どうしてあんなにすぐに涙が出てしまうのか、当時の僕にはその事自体が恐怖で情けなくて悲しかった。
僕は今、社交(社会)不安障害と診断を受けています。
簡単に言うと極度の上がり症でその症状が生活に支障をきたしている状態です。
(めちゃくちゃざっくり言っているので、詳しく知りたい方はご自身で調べてください(汗))
ひょっとしたら、当時の僕からすでにそういう状態だったのかな、と今は思います。そして、それは何かしらの対処を必要としている事だったのだろうと今なら思えます。
(あと、発達障害とも大人になってから診断されているので、当時から何かしらの凸凹な部分が出ていて、それに自分で戸惑っていたのかな、とも今にして思います(あくまで憶測ですが))
3)
平手打ちを受けた僕は「いっしょうすかん!」と諦めた父へ叫んでいました。
なにせ内心は「そもそもこの父のせいで」だったのに、さらに強権発動されても反発しかありません。
このあと、この気持ちが僕のひきこもり生活のひとつのモチベーションになってしまいました。
学校に(社会に)出て行くことは父を肯定してしまう、ひきこもりでいることで父への反抗としていた部分もありました。
(このような、思わぬ動機が発生してしまう危険があるので、最初の対応はとても大事)
熊本市で、ひきこもり自助グループ「かこかり」の運営をしています。 居場所作り活動中。