【あとがき】 いあいまいな過去 7~9
あたり前ですが、こうして綴っている話は僕にはすでに知っている話です。
実のところ、知っていればこその書き方になっているのではないかと思います。
読んだ人にどう伝わるのか
僕の意図する所とは違う伝わり方をしていたとして、それはそれで良いのです。
こうして書き綴っている奴が居るって事だけでも伝われば幸いです。
7)
この時、と言うか暫くのあいだずっと僕は毎日本当に祈ってました。
寝る前の布団の中で
「明日も何事もありませんように」
「無事に平和に過ごせますように」
と神様に祈ってました。
特に信仰しているものなどは無く
大きな存在としての神に向けて祈っていました。
やがてそれは、儀式となっていきました。
「今日が平和だったのは昨日の祈り方のおかげだ。
という事は、昨日と同じ方法で祈らないと悪い事が起きてしまう」
自分の、家族の、何なら世界の安寧は僕の祈りにかかっている。
そう思い始めると、祈る格好、その文言に言い方と拘りはどんどん強化され
寝る前の布団の中で僕は、明日の平和を守る恐怖と毎日戦う事になっていました。
(上手く行かないと何度も祈る事になりとても苦しい(そもそも正解が無い))
やがてこの儀式は
「他の人の運命が僕なんぞに左右されると思うなんておこがましい」
という、自虐的(?)な発想によって終わりを告げます。
(あと、この時期は重ねて「悪い予感」に振り回されていた時期でもあり、その時は家族の外出などに恐怖していた事もありました)
8)
この話は精神科での話です。
その先生は当時その道では有名だったそうですが
よくよく考えると、その道が僕に関係する道のだったのかは謎です。
(そもそも、僕が不登校になった当時に「僕に関係する道」があったのかも謎)
この先生とはなんだかんだで長い付き合いとなるのですが
結局、始まりの不信感を解消する事も無く診察を受けていました。
その診察時に何を話していたのかも、今となっては思い出せません。
薬に関しては子供ながらに
「薬に依存するのは怖いし嫌だ」
とも考えていて、断固拒否していました。
あと、安易に薬で治そうとしているようなのも嫌だったのかな。
(そもそも治すって?と思っていたし)
9)
この溜まり場現象は家にゲームとマンガが一通りあったからかなぁ。
兄が居たので、その兄が手に入れたもので何かと遊んでいました。
(兄もよく遊び相手なってくれました。近所の僕の同級生と一緒に遊んでくれたり、兄の友達も僕の相手をしてくれたりしていました)
そんな中、いつのころからか、それとも最初からなのか、僕は一人妙な緊張感の中で遊ぶようになります。
楽しんでもらいたい、嫌われてはいけない、普通の関係を維持しなければ
なんて事を考えて遊んでいました。
ある日、皆とゴルフのゲームをしていて上手くプレーが出来なかった僕は、
発作的にゲームをリセットしてしまい、
その瞬間後に自分のしてしまった事に絶望してパニックになりました。
取り返しの付かない事をしてしまった、と。
あの時は、この世の終わりぐらいの勢いでパニくっていました。
思い返せば大げさな話ですが、当時の自分は本気でそう感じたのです。
やがて我が家に遊びに来る友達も彼一人になってしまうわけですが
そんな彼は、しょっちゅう我が家に来てくれていました。
何なら毎日来てくれていた時期もありました。
…よくよく考えると、我が家に毎日来ていたのはおかしな話なのですが
当時の僕はそんな疑問を思い浮かべる事も無く過ごしていました。
(当時の事を母に聞いたら
「疑問には思っていたけど、とにかく来てくれて助かっていた」
と話していました)
熊本市で、ひきこもり自助グループ「かこかり」の運営をしています。 居場所作り活動中。