【あとがき】 あいまいな過去 10~12
こうして振り返っていると
いかに自分が誰にも話さず(話せず)誰にも頼らず(頼れず)に過ごしてきたかが分かります。
もし、誰かに話せて聴いてもらえたなら
そうして一緒に考えられたなら、助かったことは多かったのではないかと思います。
だから、もし今あなたに抱えているものがあるのなら誰かに話して欲しい。
そして、あなたが少しでも誰かの力になりたいのなら、まず話を聴いてほしい。
10)
この時は本当にきつかったです。
いよいよ、自分は壊れてしまう、いや壊れてしまったと恐怖していました。
これは、言うなれば社会的な自殺の妄想で
自分を消す代わりに、自分を構成せしめている世界を壊して楽になろうと云う事なのだと僕は考えています。
この時期がどれほど続いたのか憶えてはいないのですが、とにかく頭はこの妄想でいっぱいで、家族の顔をまともに見れず、食事もろくにとれず、台所にも近寄れずでした。
台所に近付くと実行に移してしまうんじゃないかと怖く、包丁なんてもってのほかで、見るのも駄目でした。
後遺症なのか何なのか、この症状が治まった後も包丁は苦手なままでした…。(食器の洗物をしても包丁だけは洗えなかったり…)
正直、思い出したくない過去で、こうして書いていても未だにちょっと辛い。
11)
当時の僕は、一人でブックオフに行って、背表紙を適当に眺めながら気になったものを買っていました。
この一文は、その中の本当にたまたま手に取った本の最後の一文で、その時になぜか最後の方を立ち読みした事で出会えた言葉でした。
本の内容はともかく(この時点では最後しか読んでないので)この一文に何かを感じた僕は、その日に買った何冊かの中にその本を紛れ込ませます。
そして、その本は暫く部屋に存在するだけの本になります。
当時の僕に必要だったのは、その本と、その本の中のその言葉だけだったのでしょう。
内容を読む気はなかなか起きないまま、ただそこにありました。
(本のタイトルは「コミュニケーション不全症候群」著者・中島梓)
12)
面白いもので、受け入れられそうな時に、受け入れられそうな話は舞い込むもののようです。
この時の、先生の交代と改めての診断、そして集団療法と当時の僕には良いタイミングでのお話でした。
もちろん、多少の躊躇はありました。
なにせ、集団療法とやらがどんなものなのか、先生からの説明を受けても良く分からなかったのが正直なところでしたし、それまで他人と交流する事のほとんど無い自分にとっては、集団に入る事そのものが大いなる冒険でした。
正直、よく参加したもんだと思います。
当時の僕は、何となく人と交流したいと思っていたのかな。
参加すると決める前だったのか後だったのか、とにかく参加する以上は自分から積極的に関わって行く気持ちで参加しようと集団療法に挑んでいました。
それでも、最初のころは話に加わる事も難しかったので、置物のようになっていた気がします。
これではいけないと、前のめりな姿勢で参加するようにしてみたら、少しずつ自分の話も出来るようになって行き、その場の一員になれた気がして嬉しかったです。
この時、本当に自分の体を前のめりにして参加してみました(机に両肘付いて、ずいっと)そうすると、気持ちも前のめりになって話せるようになったんです不思議と。
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