指導者の自己満足? 理想価値の提供? 部活への疑問に対するワタシの答
シリーズ・少年スポーツを考える。
noteの可能性を信じて、連日投稿しています。
できるなら、スポーツに少しでも縁のある方の目に留まり、
日本の少年スポーツの在り方を問い直すきっかけになったらと願っています。
【今日のまとめ】
指導者の自己満足なのかもしれないけど、受けた恩は返したい。
スポーツは、夢をかなえる力を身に着け、自分に勇気と誇りをもてる最高の友だと、子どもたちに教えたい。
意見があれば、お願いします。
【今日の記事】
今回は、あきらかに私と違う立場の記事を紹介します。
教育にかかわる3名の方が「学校部活動」について語っています。
いずれも「組織経営」に長けた方のようです。
<メンバー紹介>
*Mさん
中高一貫の私立学校で働かれています。
民間企業や起業も経験されている経験豊富な先生です。
*テキトー教師さん
https://twitter.com/tekitoo_T_cher
若くして、ある都道府県の中学校で「教務主任」を務められている優秀な先生です。
*ながめ
https://twitter.com/mgnjapan
元高校教師で、現在は予備校講師以外にも、速読教室やアイドル活動、大喜利イベント、などたくさんのプロジェクトを運営しています。
テ:よくわかんないから想像だけど、
教師が自分のときに体験したその人なりの「部活動経験」を
今の子どもたちにさせたいっていう思いが強いんちゃうかなと思うね。
な:それオナニーやん。
一同:爆笑
M:わかる。部活動が好きな教師って、自分が長時間やってたから、
生徒にもそれを強要しがちで、生徒のことはおざなりになってるケース
はよくあるよね。
生徒に「ぶっちゃけ本当に部活動って毎日やりたいの?」って、こっそり聞いてみたいよね。
強制はしていない、と指導者が思っていても、
「立場の強い指導者からの無言の強制性があり選手は断れない」という
指摘を受けたことはあります。
構造的にパワハラが起きる可能性は常に考慮しなければいけないのでしょう。
組織経営もされる方の視点ですから、きっと大切なことなのだと思います。
ただ、
テ:部活動の目的が顧問と生徒でずれてることが多いように感じますね。
顧問は「勝たせたい」
生徒は勝ちよりも「楽しみたい」っていう方が多い気がします。
M:実際肌感覚だけど、楽しむ延長で勝てたらそれでいいって
スタンスの生徒多いですよ。
な:僕も最近の子は楽しみたいっていうのが優先な生徒が多い気がしてますね。
教師側の気持ちをあえて推し量るなら、僕ら世代より上はいわゆる「スポ根」のアニメとかドラマが流行ってましたからね。だからわからんでもないんやけど。例えば巨人の星を見て育った人が顧問をするとそうなるかもね。教育でオナニーするなよって感じなんよね。
テ:基本オナニーしてるやつばっかよね。
M:間違いないですね〜!
これほど率直な意見を目にすることはなかなかないので、
非常に興味深かったです。
【「自分には無理だ、
そう言い聞かせて生きてきました。
もう嫌なんです」(映画ルディ)】
私は、文字通り、スポコン漫画世代です。
スポコンマンガは素晴らしいと思っています。
「スラムダンク」も「ハイキュー」も大好きです。
「ベイビーステップ」は指導書だと思っています。
「鮫島最後の15日」は少年スポーツ指導に全く向かない考え方だけど、ああいう戦う生きざまに心から敬意を持てる選手になってほしいと思います。
「帯をぎゅっとね」で成長に胸を躍らせ、
「モンキーターン」でプロスポーツの厳しさを知り
「とめはね」で文化部の精神性を知ることはとても素晴らしいと思います。
そういう世界の、小さな入り口の部分だけでも選手に感じてほしいと思うことは、体育会脳みそ筋肉バカの独りよがりな思い込みなのでしょうか?
指導者として、
選手が今持っていない価値観を提供することに意味があると思っていました。
選手の10年後20年後から
「あの時、自分に勇気をくれてありがとう」
そういわれるために、
今の選手が持っていないもの「自己肯定感」や「夢を実現するための戦略眼と実行能力」を、選手の可能性に寄り添い育むことこそが、部活指導者に求められるものだと思っていました。
だから、メンタルの育成こそが財産だと信じてきました。
そのためにチームビジョンを共有し、スポーツを通して夢を実現する力を育成しようと考えてきました。
その目標を実現するためにスモールステップの習慣化ができるように、具体的な方法に落とし込むことも考えてきました。
すべて、スポーツを通して生き方を学ぶためです。
自分がスポーツから受けた恩恵、
自分が師匠や様々な方から育てていただいた恩を
次の世代に伝えることで恩返ししたいという思いからでした。
それを、たまたま縁があってチームに入る選手に強要することは、
>指導者の自己満足
に過ぎないのでしょうか。
私が、有償で「チーム・イチロウ」を運営して、
チーム理念に納得しないものは加入できない。
と傲岸不遜に構えたらいいだけの話ではあります。
全員加入が原則とされる公教育の学校部活動に、
指導者がビジョンを掲げ、選手に理念を語ることは、
選手の願いを無視した指導者の思い込みでしょうか?
【理想? ないものねだり?】
放課後、子どもたちは学校から帰宅する。
それぞれが、思い思いのスポーツを楽しめる場所に通う。
公園でストリートバスケをしてもいいし、思い切りスケボーをしてもいい。
地域の体育館に行けば、バドミントンを教えてくれるおばちゃんたちがいる。
屋根あるホールでは、鏡が並べてあって、思い思いにダンスを踊ることができる。
少し離れた郊外の総合競技場には、アーチェリーやクライミングなどの比較的専門性の高い種目を専門的に学ぶ環境が整っている。
隣の陸上競技場では、オリンピックを目指して体の土台から鍛えながら反復ドリルを繰り返す選手たちが集まる一方で、トラックの周りを楽しそうにイヤホンをつけて音楽を聴きながら走る人たちもいる。
それが、平日の夕方5時半の光景。
こんな光景を実現するのに、部活動が生徒を拘束して足を引っ張っているというのであれば、私も部活指導から即座に手を引きます。
そのうえで、イチロウジムを開設して、様々な競技に対応する体の使い方を教えると思います。
【たった一つのさえたやり方?】
私は、これを「近い未来の目標」としてとらえることができません。
「遠い未来の夢」としか思い描けません。
そのために、今できることは、
絶対に身体を壊さずに、動きやすく整えるトレーニングを知っている選手を一人でも多く育て、
自分の夢を語る言葉を持ち、自分の言葉を誰かに届けることのできるスポーツ愛好家を育てることだけです。
何よりも、自分を育ててくれたすべての環境に感謝し、その恩を次の誰かに伝えようと思う心を持つ人間を育てることです。
つまり、
「指導者の自己満足」を行う指導者
を育てようとしています。
いや、指導者にならなくてもいいけど、やろうと思ったらなれる力は育てたい。
なぜなら、指導者として選手と過ごすことは、何よりもかけがえのない学びがあり、自分自身が成長し、最高に楽しい体験だからです。
これは、やはり私の自己満足なのでしょうか?
プロを目指すトップアスリートを育成するわけでもなく、
楽しさを追求する総合スポーツ指導ができるわけでもない、
ちょっと体の使い方に詳しいだけの、田舎の、1指導者の小さなわがままです。
【今日の結論】
指導者の自己満足なのかもしれないけど、受けた恩は返したい。
スポーツは、夢をかなえる力を身に着け、自分に勇気と誇りをもてる最高の友だと、子どもたちに教えたい。
意見があれば、お願いします。
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