屯田兵のはじまり
こんにちは!
昨年会社を退職し、北海道へ移住。現在、オンラインコーヒーショップとオンライン日本語教師をしているAtsushiといいます。妻と一緒に数年の間にアジアの国に一度住んでみたいと考えています!
さて今日は、北海道の開拓の歴史に出てくる、屯田兵について。
開拓使や屯田兵、言葉は日本史でよく聞きましたが、よくわからないままさらっと過ぎてしまった方もいると思います。もちろん、自分もその1人です。
知識人間ではないので、詳しくは書きませんが、いろいろと調べた中で、そうだったんだ!ということだけ、ピックアップしてnoteします!
参考ー北海道の百年 県民百年史Ⅰ
開拓使とは
江戸時代が終わり、版籍奉還ののち、すぐに北海道の開拓が始まったんですね。海外に対しての意識が高まったからこそ、日本の領土を守る為にも必要だったんでしょうね。
屯田兵とは
明治37年まで約30年間、約7,000人が屯田兵として、従事したたとされています。
ということで、屯田兵という制度ができたのには以下の3つの理由がありました。
東北、道南の士族のため
維新がおこり、階級がなくなり、士族は基盤を失います。その結果、困窮します。その救済、という名目もありました。
結局、実際の応募は少なかったようで、範囲を広げていきました。
明治23年には、士族だけでなく、平民からの応募もはじめ、そちらを主としたようです。
ロシアの侵攻から守るため
ずっと続いていたロシアの南下政策(1696〜1884)を恐れていたこともあり、北海道の開拓だけでなく、防備上の目的もあったので、兵隊としての役割もありました。
移民の反乱をおさえるため
北海道の移民に対しての税徴収の圧が強まっていた1873年、福山、江差騒動が起こった。約2,000人が騒動を起こし、税率の改善と、騒動による逮捕者の釈放など、大きな事件となった。
こういったことが起こらないようにする為にも、警備という目的も付け加えた屯田兵が必要でした。
1904年、明治37年の屯田兵の廃止まで続きましたが、最後は日露戦争にも参加しました。
その後が漫画ゴールデンカムイで描かれる時代背景につながります。
ということで、今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
ではまた!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?