わたしのおねえちゃん
うちの長女は、ある時期、よくこう言いました。
わたしのおねえちゃん
「わたしのおねえちゃんはね、あおいろがすきだって」
「おねえちゃんもね、みんなといっしょに、こうえんいくっていってたよ」
「きょうもね、おねえちゃんがね、うさぎのおせわしたんだよ」
「ふふふ。わたしのおねえちゃんがね。きょうね。」で始まる話に毎日まいにち花が咲く。昨日も今日も、朝も夜も、娘の話にはおねえちゃんが出てくる。そう、それは長女が5歳ぐらいだったときのこと。私の産んだ長女のこと。そうよ、長女なの、長女にはおねえちゃんはいない。どういうこと?空想?想像の兄弟?おねえちゃんって誰?
心配になって母に電話した。
そしたら母が言う「よくわからないけど否定はしないほうがいい」と。詳しく聞くと、似たようなお話をする子どもがいたけれども、誰かが「嘘をついたらだめだ」と諭したという。それ以来、その子はいっさいそういう話をしなくなったと。だから「そのままにしてあげなさい」と。
心配は消えなかった。
でもおねえちゃんが登場する話、相づちをうちながら聞いたと思う。
そんな時、子どもが描く絵をみて少し安心した記憶がある。
よく玄関先にチョークで絵を描いて遊んでいたんだけれども(写真)
「これがママで、これがおねえちゃん」と教えてくれる。
そこに描かれているママもおねえちゃんも、だいぶ人間離れしていた。
そっか、そりゃそうか。それが空想の世界。そういうお話の世界がある。
それから時間もずいぶんたって、いつしかおねえちゃんはいなくなった。
最近、子どもも大きくなって、親子で思い出話をするようになった。
あの頃、君にはおねえちゃんがいたよね。
私たちにも、長女におねえちゃんがいたよ。
本日もお読みくださりありがとうございました。これは #土屋鞄の絵本コンテスト に出してみようと思い書いてみたものです。
補足に、この話の背景を少し述べておきます。
海外で出産したあとも海外での引越しも重ね、言葉も文化も異なる環境で子どもを育ててきました。身近に知り合いもおらず一生懸命でした。
娘がおねえちゃんの話を始めたとき、最初はよそのおねえちゃんがいて、その誰かのことを話しているのかなと思いました。でも話を聞けば聞くほど、実在するおねえちゃんではなく、想像のおねえちゃんだとわかりました。
親として、この想像の世界をまるで本当のことのように助長してはいけないと思いましたし、幼稚園で友達などに、いないはずのお姉ちゃんの話をして傷つくことになったらどうしようかとも心配しました。何よりも複雑な環境に置かれストレスを受けているのかもしれないと心配は尽きませんでした。
しかし母の助言もあり、子どもの想像力の豊かさと、そうやって生き抜こうとするたくましさを信じていこうと、互いに信頼しあった日々だったと思います。
後から聞けば、こどもが想像の兄弟を想定することはよくあるそうです。でももし、そうだとしたら、あの時、こんなお話や絵本があれば、私たちももう少し余裕を持てたかもしれません。
そう思うと、どなたかに絵本にしていただきたくなりました。一生懸命子育てされている方々に、もし、子どもに想像の兄弟がでてきても、心配いらないよ、とても、素敵なことなんだよと伝えたいと思います。また、子どもたちの心に、いつも一緒にいてくれる誰かがいたら、そのぶん強くて優しい子になれるかもしれませんね。
コンテスト主催者様方のランドセルに託される思いが子どもたちに届き、一人一人の支えとなり励ましになりますように。
長文になりましたが、ここまで目を通していただいたことを心より感謝いたします。
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