見出し画像

「個性と多様性」という罠


今日も目の前に広がる青空を眺めながら、盛大に鳴く蝉の声、小鳥の声を聞きながら家でぼーっとしています。ふと、文章でも書いてみるかという思いがよぎったので、溜まった思考をつづっていきたいと思います。


最近よく聞く「個性」といった言葉。一体何を意味しているのか?


特に学校などでは「自分の個性を開花させよう!」などの文脈で使われ、今の子供たちは嫌というほど教育の指導の一環として言い聞かされてきたのではないかと思います。

個性を出したら職場をクビになってしまうような、いや、そもそもその職に就くことさえできない、ロボットのように均一に教育された大人たちが、子供たちにどうやって「個性」なるものを教えるのでしょうか?


結局はこういうことです。


大人たち(教師)が言う「個性」なるものは、学校や社会という一般的なシステムに適合する限りで認められるものでしかないということです

学校教育が本当の意味で個性を重視するならば、間違いなく学級崩壊を起こすでしょう。
本当の意味での個性は、他の個性と相容れるものではないからです。

社会でいわれる個性なるものは、一般論によってひとつの凝り固まった視点から扱われるものでしかありません。その一方で、本当の個性「特異性」というのは、あらゆる一般論からはみ出した過剰な何かです。

個性はなにかしらのインデックスに登録可能なものですが、特異性は識別、分類が不可能で、インデックスに登録したり、学術書などにまとめたりすることはできないものです。

だから現代社会で言われる「個性」や「多様性」というものが、いくら尊重されようが、それは社会が特異性を重視してることにはなりません。


結局「個性」なるものは一般的な基準に立脚しているわけです。そうなっている以上、それは必ずこの基準を司る権力にとって都合のよいものとして恣意的に扱われることになります。何を「個性」として認め、何を「反社会的なもの」として排除するかという境界線を決め、支配力を発揮するわけです。

それに対し、本当の個性「特異性」とは本質的に反権力的なものです。

社会が個性だ多様性だのと言えば言うほど、本当の意味での個性や多様性は隅に追いやられ、潰されるという矛盾が生じるわけです。


「特異性」というのは簡単に言うと(あまり簡単に言うのはよくないんだけど)、「他者が何と言おうとこれが自分だ」と開き直って受け入れるようなものです。前述したようにそれは反権力的なものです。ほとんどの人がこれを自分で抑圧しています。いや、させられているといった方がいいかもしれません。精神分析家のジャックラカンから言わせれば、健全な社会人と言われている人たちは全員もれなく「神経症」です。



特異性の例として僕が最近「イケてんなぁ〜」と思ったのは、TikTokで出てきた「最強ちゃん」という女性の方です。とにかくパンチがあります。

年齢不詳で(多分20代後半から30代前半くらい?)いわゆる”普通”の見ためをした女性の方なんですが、一人暮らしで、住んでる部屋はゴミ屋敷で虫が沸いたりしています。めちゃくちゃ早口でたまに何を言ってるのか分かりません。お風呂もあまり入らないようで、髪の毛はベタベタです。でも何故かあまり不潔感はありません。
引きこもっていた経験が十数年あるようで、彼氏や友達は今までできたことがないようです。

そして最強ちゃんは家賃だの何だのを色々滞納しているらしく、色々な種類の督促状が何枚も家に届いています。しかし本人は全く気にする気配はなくいたって楽しそうで、何を思ったのかその督促状を何枚もカラーコピーして、着ている洋服にペタペタ貼り付けて外出し始めます。
そして1人でカラオケに行ったり、回転寿司屋に行ったり、渋谷や新宿に行って踊ったりしてます。最近は督促状を何枚も貼り付けた服を着て、洗面器に麺類を入れてズルズルと街中でご飯を食べたりしています。途中から名前も「最強ちゃん(滞納ちゃん)」と補足をしています(笑)

まさに最強ちゃんです。この社会システムから逸脱して、淡々と自分を生きているという感じで、たくましいの一言です。
まさにドゥルーズ+ガタリのいうユーモアとアイロニーを表現した、スキゾ的な生き方と言えるでしょう。

こういう「特異性」というものは主体自らが見出すものなので、決して他者に依存していません。
それは人様が絶対に許さないほど卑猥であったり残酷なものであったりして、恥ずかしくて露わにできないようなものかもしれません。

しかし僕はそれでいいと思います。



特異性を見出した人は、他人が承認してくれる一般性とのズレに死ぬほど悩んだはずです。

そしてその自分の中の特異性を受け入れるという選択をした訳です。自分の無意識と対峙し、その根源まで旅を続けたのです。

それにはとてつもない勇気が必要だったと思います。

こういうことは当たり前ですが、学校や周りの大人が子供に教えることは不可能なことですし、誰もが経験できることではありません。


よく「あいつ頭おかしいよな」とか「あいつ病んでるよな」とか言う人がいますが、

それは跳ね返ってあなた自身のことかもしれませんよ。


では、また。

いいなと思ったら応援しよう!