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怠惰で傲慢で感じられる幸せ
怠惰な幸せ
それは、何の努力もせずに優越感に浸り、ただ自分の欲望のままに満たされることかもしれませんね。いくつか挙げるとすれば・・・
休日にベッドの上で何もせずに過ごす幸福
「今日は何もしない」と決め、部屋着のままスマホをいじり、好きなものを食べ、好きな動画を観る。世界がどうなろうと知ったことではない。他人の努力を尻目に、自分は優雅に楽しむ幸福
友人が仕事や勉強に追われている横で、「頑張ってるね~」と軽く言いながら、自分はワイン片手に映画鑑賞。自分が特別であると信じ、何もしなくても価値があると思う幸福
「自分は生まれつき才能があるから、頑張らなくてもいい」と思い込むことで、努力の苦しみから解放される。周囲の期待を無視し、自分の快楽だけを優先する幸福
「やりたくないことはやらない」「面倒な人間関係も捨てる」と決め、好きなことだけに没頭する自由を満喫する。
ただし、こうした幸福は刹那的で、後から罪悪感や虚無感がやってくるかもしれませんね。でも、その瞬間は確かに甘美で、心地よいのも事実です。あなたが求めるのはこの種類の幸福ですか?
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罪悪感が後から来るのは何故?何に罪悪感を感じるの?
罪悪感が後から来るのは、「怠惰や傲慢による幸せ」が、社会や自分の価値観と矛盾するからです。何に罪悪感を感じるのかは、人によって違いますが、主に以下のような理由が考えられます。
1. 他人との比較による罪悪感
「みんな頑張っているのに、自分は何もしていない」
→ 他人が努力している姿を見て、「自分も頑張るべきでは?」という思いが芽生える。でも、怠惰を選んだ自分がそれを認めたくない。
2. 期待を裏切る罪悪感
「周囲から求められている役割を果たしていない」
→ 仕事、家族、友人との関係の中で、自分が果たすべき責任や役割があるのに、それを放棄していると感じる。
3. 自己理想とのギャップによる罪悪感
「本当はもっと立派な自分でありたかったのに」
→ 自分が理想とする人物像(努力家、誠実、責任感があるなど)と現実の怠惰な自分がズレていると、「このままでいいのか?」と不安になる。
4. 快楽の刹那性と無意味さ
「楽しいけど、これって本当に価値があるの?」
→ 怠惰で感じる幸せは、その場では心地よいけど、後になって「何も生産的なことをしていない」「何も得られなかった」と虚無感を感じることがある。
5. 社会の価値観に染まっていることによる罪悪感
「怠惰は悪いこと、努力しないといけない」という刷り込みがあるから
→ たとえ本心では「楽しいし、これでいい」と思っても、社会の常識や道徳が「怠けるのは良くない」「努力しないと価値がない」と教え込んでいるため、無意識に罪悪感を抱く。
それでも罪悪感を感じずに幸せを楽しむには?
もし、罪悪感なく怠惰や傲慢を楽しみたいなら、
✔ 「これが自分のスタイルだ」と割り切る
✔ 「怠惰も必要な休息」と正当化する
✔ 「他人の期待ではなく、自分が望むことをする」と決める
✔ 「楽しかったなら、それでいい」と結果を気にしない
罪悪感は「~すべき」「~でなければならない」という考えから生まれます。それを手放せば、もっと自由になれるかもしれませんね。
あなたが罪悪感を感じるとしたら、どのタイプが当てはまりそうですか?
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