好きな人に好きってゆうこと
なにかを選択するときにスパッと決断できる時もあれば
なにかが引っかかって決断できない時もある。
そのなにかが自分の中で明確にはっきり分かれば話しは早いのだけど、そうはいかないのが面白いところ。
人に聞いてもらったり本を読んでみたり何かに答えを求めたくなるけど、結局最後決めるのは自分なんだと最近やっと本当の意味で理解しはじめた。
わたしは、大袈裟かもしれないけれど
明日もし世界が終わるなら?どっちを選択する?
と自分で自分の心に問いかけることが多い。
きっと、こんな風に考えるようになったきっかけは
18歳の時に友人を亡くしたからだと思う。
中学生の時その子と出逢って同じクラスで3年間過ごした。多感期は毎日波のように感情が揺さぶられる。
私自身そうだた。苦しかった。明日がくるのが怖かった。今でも思い出すと胸がギュッとなる。
今年30歳になるこの歳になれば、小さなことで悩んでいたなぁと思えるようになったけれど13歳〜15歳とゆう心も身体も小さな小さな女の子にとってあの時はあの時なりに必死に毎日を過ごしてた。
ようはその子とウマが合わなかったんだよね。
高校生になった時風の噂でその子が病気だと知った。
未熟だった私は、苦しかった記憶の中にしかその子が存在していなくてそこまで深く受け止められなかった。
クラスも違ったし関わることも自分から避けていた。
そのまま3年とゆう月日が流れ卒業間近。
その子に呼び出され顔と顔を合わせて目と目を見て会話をした。顔も身体も痩せていたけれど目はとっても優しく表情もやんわりしてた。その子のイメージは中学生の時の記憶で止まっていたから人は、なにか自分を突き動かすようなことと自分の意志があればこんなにも変わるものなんだと18歳ながらに感じたことを今も覚えてる。
ごめんね。
とその子の言葉で心で言ってくれた。
きっと、自分の命がそう長くないことを自分で感覚として気づいていたんじゃないかなと思う。
そこから4ヶ月後に亡くなった。
知らせを聞いたのは、後輩達の最後の試合を応援しに行くバスの中だった。時がとまった。涙ってこんな風に静かに流れるんだね。
死とゆうものと向き合った瞬間だった。
そして、私の人生の中で友人とお別れしたのはまだあとにも先にもその子だけでその子だったから私はここまで考えさせてくれるきっかけをくれたのだと思う。
その子からのギフト。ありがとう。
きっと、わたしはその時心に誓ったのだろう。
明日この命が終わっても後悔しないように生きていこうと。生きていたいって。
だから、わたしは子供のように心の声に素直に真っ直ぐに生きるようになったのかもしれない。
こうやって生きることで、深く傷つけてしまった人達
裏切ってしまった人達も沢山いる。
ごめんなさい。
そして心からありがとう。
好きだと思ったら好きと伝える
会いたいと思ったら会いに行く
やりたいことはできるだけ今できる範囲でやってみる
楽しい時や喜びはこの身体と心全身で感じるし
美味しいときは美味しいーって味わう
太陽のあたたかさをもっと感じたいと思えば両手広げて大きく息を吐いて太陽を抱きしめる
大自然の音と空気の輪の中にいると寝っ転がっりたくなって仰向けになる。
流れゆく雲とまあるい空と風をこの目で見て身体で感じてわたしを大地にあずける。
ありがとうは思ったときに。
悲しさもちゃんと悲しいってかみしめる。
涙が流れるときはそのまま流してあげよう。
シンプルなことだけど、シンプルなことこそ難しい。
わたしは、最近好きな人に
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