優しい記憶
かぼちゃタルトを作ってみた
タルト型がないからパウンドケーキ型でね
いつもお菓子を作る時間はほとんど朝か昼だ
だけど、珍しく夜ご飯を食べたあとに
よし、作ろうと気が向いた
気が向いたときに作るのが
美味しくできるコツのひとつだと思ってる
茹でたかぼちゃを潰しながら
ふと母のことを思い出す
よく母は夜ご飯のあとに
お菓子を作りだすことが多かった
わたしは不思議だった
なんで、夜ご飯の後片付けも終わって
シンクも綺麗にしたのに
わざわざまた洗い物を出すようなことをするんだろう?と
だけど
今ならわかる
きっと夜ご飯を食べ終え家事もひと段落した
あの時間が母にとってのホッとする
時間だったんじゃないかなぁと
今日も平穏に1日が終わる
母にとっての息抜きの時間だったのかな
そんな母が作ってくれる
お菓子が幼い頃からわたしは大好きだった
誕生日ケーキはほとんど毎年手作り
ドーナッツを揚げてくれたり
クッキーを焼いてくれたり
特別すごく美味しいわけでもないし
見た目も良い意味で素朴だった
だけど、母の優しさと愛情こもったお菓子を
食べることが凄く好きだった
一緒に台所に立ちお菓子作りもしたなぁ
クッキーの型を抜いたり
クリスマスケーキを作ったり
バレンタインのお菓子作りは
結局最後は母が仕上げてくれるなんてこともあった
わたしのルーツでもあるね、きっと
母が夜ご飯のあとに作ってくれたお菓子を
朝ごはんで食べることも
お風呂あがりにちょろっとつまみ食いすることも
好きだった
優しさとか愛情とかあたたかさは
あとで気づくこともあるね
夜な夜なタルトを作りながら
そんなことを考えてた
そして
最近思うこと
わたしは母から無条件の愛を
たっくさん注がれて育った
これは母だけではなく
父にも祖父母や親戚の人たちにも
家族内の問題は100%無いとは言い切れないけれど
愛だけはいつもどんな時でもあったと言い切れる
それも無条件の愛
沢山の家族や親戚の人達に囲まれて
わたしは育ててもらった
人の中でわたしは大きくなった
だからこそ
今のわたしがある
無条件の愛を感じながら育ったことは
決して自慢することではないけれど
引け目に感じる必要もない
ありがたい
だからこそ
わたしに出来ることは
この沢山受け取ってきた愛を
親孝行とゆう形で還すこととは別に
大切な人達やわたしを待っててくれる人達に
送ること、循環させること
これがわたしに出来ることであって
与えられた使命なのかもしれないと
薄々気づいてきた
まぁ、使命とかゆっちゃうと
すごいことのように捉えがちだけど
そうじゃなくて
わたしがわたしらしく
そのまんまであることで
自然とそうなってくような感じ
愛とはなに?と聞かれると
まだ言語化もできないし
自分の中でフワッとした感覚でしか
表現できないのだけどね
そう気づくと
なんだか凄く嬉しくて
ありがたくって
あたたかくて
優しいものをカラダで感じた
大切なことほど目にみえない
そして忘れがち
だけど、こうやってふと湧き出てくる
記憶から気づかされることで
あたたかな気持ちになることもある
過去の自分が今をつくる
今の自分が未来をつくる
じゃあやっぱり今をしあわせに生きよ
今日も愛と感謝を込めて🕊