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発達障害ASD(自閉症スペクトラム症)の人と会話し、理解を深めるためのルール

ASD(自閉スペクトラム症)の人は、空気が読めない、相手の気持ちが想像できない、気持ちの共有が難しい、といわれます。その特徴のせいで、私はASDの夫といて気持ちが通じ合わない、気持ちを察してもらえない、共有する嬉しさを味わえない、と寂しい思いを重ねてきました。
発達障害の学びを深めるうち、ASDの特徴の人は、健常者とは違う言語を使っていることに気づくことができました。ASDの人は、言葉をそのまま言葉通りに理解し、物(特にお弁当)を買ってきてもらうには必ず個数を付けなくてはならず、「これ、それ、あれ」は辞書になく、察するという文化はありません。
私はこのASDの人が使う言語を、「ASD言語」と呼ぶことにします。
「ASD言語」をより多く見つけ、理解していくうちに、私の寂しさは減っていきました。
もし、あなたの家族がASDの特徴を持っているなら、ぜひ、この「ASD言語」を知って、日常生活に役立ててもらいたいと思います。理解し、受け入れ、実践していけば、きっと悩みは解決できます。

「ASD言語」とは、言葉通り素直に理解する言語のこと


ASDの特徴(会話が苦手)がある人が話す言葉は、健常者が話す言葉とは違います。ASDの人が話す言語を、「ASD言語」と呼ぶことにします。この「ASD言語」を知り、使いこなせるようになると、ASDの夫と会話をするとき、気持ちが楽になります。「ASD言語」をもっと広げたい。以前のわたしのように、寂しい思いをしているなら、「ASD言語」を知り、使いこなして、寂しさを減らしてください。私もまだまだ使いこなせてはいないのですが、一緒にがんばってもらえると嬉しいです。

ASDの特徴がある人、つまり私の夫は、言葉をそのまま素直に理解します。
例えば、私が体調を崩して家のベッドで寝込んでいる時、ASDの夫に、「体調悪いの?」と聞かれたとします。本当は夫にいろいろやって欲しいことがあるのに、遠慮して「大丈夫だよ」というと、ASDの夫は言葉通り理解して、さらっと離れていってしまいます。私は、体調が悪くても夫に頼れず、寂しい思いが残ってしまっていました。本当は、私が「大丈夫だよ」と言っても、夫に「何を遠慮しているんだ、やれることは俺がやるから、ゆっくり休んでいて」と言い返して欲しかったのです。でも、それは言葉にされていない私の「思い」なので、ASDの夫には届きません。「察する」、何てことは夫の辞書にありません。「大丈夫だよ」は「ASD言語」ではなかったのです。それを知らない私は、夫がASDの診断をされるまで、何度も寂しい思いをしてきました。
けれど、ASDの人は言葉通りに素直に理解する「ASD言語」を使っているだけだ、とわかってからは、ずいぶん楽になりました。寂しい思いも減りました。
さっきの「大丈夫だよ」の場合、どうすればうまく意思疎通ができて、寂しい思いをしなくてよかったのでしょうか?
私は、夫に「私は体調が悪くて休みたいから、食器を洗って、子どもたちの明日の学校の準備を手伝ってくれる?」と言葉に出して伝えればよかったのです。
体調が悪い時、何をどう頼んだらいいか、考えるのもしんどいこともあります。そこをがんばって、具体的に言葉にすることで、夫に伝わる「ASD言語」での会話ができるのです。夫は「わかった。」といって、食器を洗い、子どもたちの準備を手伝ってくれるようになりました。
私がしんどくても、がんはって具体的に言葉にして伝えると、夫は私の言葉をそのまま受け入れてくれて、行動してくれるのです。「大丈夫だよ」では夫の「ASD言語」の辞書には「大丈夫だよ」としか解釈が出ていないのです。
この発見が、私をとても楽にしてくれました。夫は冷たい人だ、と思って寂しい思いをしていたのは、「ASD言語」を知らなかったせいでした。あるASDの解説本にはASDの特徴として「ことば通りに受け取ってしまう」と書いていました。わたしは、それを実生活に生かすほどの理解はできていなかったのです。「言葉通り受け取ってしまう」のではなく、「言葉通りに受け取る言語を使っている」ということだったのです。

この「ASD言語」は、まだまだ他にもたくさんあることがわかってきました。
夫との生活の中で発見してきた「ASD言語」をもう3語、紹介させてもらいます。
 





「ASD言語」では、物(特にお弁当)を買ってきてもらう時、必ず「個数」を伝えなくてはいけない

カサンドラ症候群(医学的な正式名ではない。ASDの夫から受けるストレスでうつ病のような精神状態になる妻のこと)の人たちが、離婚を決意したできごとのなかに、よく出てくる話があります。それは、妻が体調を崩して寝込んでいるところへ夫がやってきて、「ごはん、どうしたらいい?」と聞いてくるので、妻が「お弁当を買ってきてくれる?」と答えると、夫は自分のお弁当だけ買ってくる、というものです。
 妻の心の動きはこうです。「私の体調が悪いのをわかっているのに、夫は私を気遣うこともなく、自分のごはんの心配だけするなんて、信じられない。私のことは心配じゃないの?冷たい人ね。しかも、仕方なく、お弁当買ってきてと頼むと、自分のお弁当だけ買ってくるなんて、どういうつもりなの!私のごはんはどうなるの?私はこんなに体調が悪いのに、自分で作れっていうの?あなたは自分のことしか考えられないの?私のこと愛してないの?もう無理だ。こんな人とは一緒にいられない!」と怒りが爆発してしまうのです。
すると、夫は委縮してしまうか、逆切れしてしまうかのどちらかになってしまいます。
 このパターンは私にもよくわかります。私の夫もそうでしたから。だから、私は「絶対に病気にならない!」と何度も心に誓いました。それでも、病気になってしまう。そして、怒りがこみ上げる。を繰り返してきました。
 けれど、いまは、これも、「ASD言語」を知らなかったせいで起こっていたことだとわかります。
 さあ、どうすればうまく意思疎通が図れる会話ができたのでしょうか?
その答えはこうです。

夫「ごはん、どうしたらいい?」
妻「ごはんのことで困っているのね。いま、体調が悪くて作れないから、お弁当をあなたのと子どものと合わせて3個買ってきてくれる?私には、消化のいいゼリーやお粥のレトルトを買って来てね。」
夫「わかった。」

ASDの夫が「ごはんどうしたらいい?」と聞くのは、妻が寝込んでいるというイレギュラーな事態にうまく対応できず、先行きが見通せない不安から、ごはんはどうしたらいいのかわからなくなっているのです。頭の中がパニックになっているのです。だから、いつもごはんの担当をしている妻に「ごはんどうしたらいい?」と聞くしかないのです。妻を心配していない、冷たい、自分勝手、ではないのです。ASDの夫は困っているのです。そこは、責めてもどうにもなりません。
そして、妻から「お弁当を買ってきて」と言われると「そうか、今日はお弁当を食べるのか」と理解し、先行きが見えて安心し、自分のお弁当を買ってくるのです。周りのことは見えていません。自分の不安を解決することで、精一杯なのです。この行動は、イレギュラーな事態に対応しきれない、ASDの特徴がよく現れています。
 ここで大切なのは、「ASD言語」で物(特にお弁当)を買ってきてもらう時は、必ず個数を付けなくてはいけないというルールです。
家庭の中で「お弁当」の単語が出てくるということは、お弁当屋さんで働いている人ではない限り、家族の不調、多忙、アクシデント、などマイナスの要素が絡んでいることが多いはずです。その時に意思疎通がうまく図れないと、マイナスのスパイラルにたやすく落ちていきます。そのような危険を「お弁当」という単語は含んでいるのです。
 誰でも体調を崩している時は、優しくしてもらいたいものです。その優しさから、恋に落ちるなんてこともあるかもしれません。それなのに、病気の時でも妻は、ASDの夫のことを気遣わなくてはいけないのか、と思うでしょう。確かに、夫が健常者ならば、言い換えると、「ASD言語」を使わない人ならば、妻が黙っていても、いろいろと察してくれて、家族分のお弁当と妻には消化のいいものを買ってきてくれてくれるかもしれません。けれど、ASDの特徴をもった夫と結婚した以上、妻は夫が使う「ASD言語」を知り、使いこなす努力が必要なのです。「お弁当買ってきて」と言って、自分のお弁当だけ買ってくる夫に、失望する苦しさより、「ASD言語」を知り、使いこなす努力をする方がいいと思いませんか?
 私は、よく扁桃腺を腫らすので、声に出して伝えにくい時があります。そのような時は、夫に聞かれる前に、ラインに買ってきてほしい物をリストにして送るようにしています。もちろん、お弁当には個数を書き込んでいます。夫がごはんの心配をして不安になることもなく、私が傷つくことも少なくなりました。





「ASD言語」では、「これ」、「それ」、「あれ」を使わない

「ASD言語」を使う時、指示語といわれる「これ」「それ」「あれ」をできる限り使ってはいけません。ASDの人はもともと「想像力が少ない」特徴を持っているので、指示語がそれぞれ何を指しているのかいちいち考えないと理解ができないのです。会話の中で健常者が指示語を多用してしまうと、ASDの人は理解が追い付かず、会話を続けることができなくなってしまうのです。
これは、健常者にとっては、なかなか難しいルールです。
普段、「これ」、「それ」、「あれ」は会話の中で自然に使っているし、いちいち頭で理解しなくても指示語が何を指しているか、スムーズに理解できています。そんなこと、考えたこともない、というくらい引っ掛からないことです。ところが、夫と話していると
「あの人が~」というと「誰のこと?」
「あそこで~」というと「どこで?」
「その時」というと「どの時?」
「あの人とこの人、どっちが」というと「誰と誰?」
と質問が返ってくるのです。夫は段々「話がよくわからないよ」となり、私は説明に疲れ、会話が終わってしまうのです。
この問題を考えると、自分がスムーズにできることが、夫にはとても難しい場合、私が合わせることが解決策につながると思いました。これまでは、夫が私に合わせてきたのですから。夫に伝える時は、指示語をできる限り使わない。それが、会話を続けるルールです。

ASD言語には「察する力」はない

ドラマ「ウチの娘は、彼氏が出来ない!!」(2021年3月18日放送)にこんなシーンがありました。
浜辺美波演じる「空」が大学の教室で、少し離れた前の席に座る岡田健史(光)に向かって
「母ちゃん、どっかいっちゃうかも。一人になったらせいせいする。」
と半笑いしながらいうと、岡田は菅野美穂が演じる「母ちゃん」に会いに行きます。そして、
「空さん(浜辺美波)寂しがっていました。お母さんがどっかいっちゃうかもしれないって。(中略)言わないけどわかります。顔見れば。」
と伝えるのです。驚いた菅野が
「えっ、そうなの?(中略)わたしは、人の気持ちにちょっと疎いのよ。」
というと、岡田は
「空さん、母ちゃんさんのこと、大好きです。」
とはっきり浜辺の気持ちを言葉にして伝えるのです。

この会話の中で岡田は、顔を見れば相手の気持ちを察することができ、その気持ちを伝えるべき人に、きちんと言葉にして伝えられる、とても優しく魅力的な人物として映し出されていました。「察する」力はとても素敵な青年の特徴として、言葉通りの言葉で伝える「ASD言語」を使いこなす姿は、思いやりにあふれた人間として、描かれていました。菅野はASDとして描かれてはいないけれど、「人の気持ちにちょっと疎い」特徴を持っています。岡田のこの言動が、ラストシーンでは、菅野がどこへも行かず、浜辺と一緒に暮らす道を選ぶことにつながっていくのです。
また、有名なドラえもんのシーンでは、しずかちゃんのお父さんがのび太君のことを
「あの青年は、人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。それがいちばん人間にとってだいじなことなんだからね。」と評価しています。
のび太君は、発達障害のADHDの不注意優勢型として様々な本に書かれています。ADHDの特徴から、ぼーっとして忘れ物や失くしものが多く、苦手なことから逃げがちですが、ASDの特徴の人の気持ちを想像したり、共有したり、察したりできない特徴は、持っていないようです。しずかちゃんのパパがいうように、確かに人の幸せを願い、不幸を悲しみ、気持ちを共有できることは、生きていく上でとても大切です。そんな人と一緒にいたら、きっと寂しい思いはしないと思います。ドラマの中の岡田君も、察する力によって、素晴らしい人間性を持っている青年として描かれています。私もドラマを見ていて、素敵だなと思いました。けれど、それをASDの人に当てはめるのは間違いなのです。
ASDの人は、気持ちを共有したり、察したりできません。だからといって、人間に一番大事なものを持っていないとか、魅力的ではないなどというのは、話が違います。言語が違います。この違いを理解していないと、ASDの人と暮らすのはなかなか大変です。
察して欲しい気持ちは、捨ててしまう。持っていない言語を使えと言っても、無理なのです。羽のない犬に飛べといっているのと同じことです。
「察する」「共有する」=優しさ、人間らしさの図式は、「ASD言語」の辞書には載っていません。

今回は、4つの「ASD言語」について紹介しました。まだまだこれから探していこうと思っています。もし、他の「ASD言語」を知っている人がいたら、ぜひコメント頂きたいと思います。たくさんの人と情報を共有し、一緒に「ASD言語」の辞書を作っていきたいと思っています。

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saya
発達障害は本人の生きづらさだけではなく、周りの人にも大きな影響があります。夫と息子が発達障害と診断され、気持ちがスッキリしました。発達障害の特徴を理解し、自分の性格を知り、感謝の気持ちを持つことで、前に進むことができています。一人でも多くの方に、私の経験が役立てますように。