効率とは無縁な世界で生きていきたい
以前、カフェの店長を長くやっていた。
カフェが好きで、カフェの仕事も好きだった。
社会人として、わたしなりに仕事を楽しみ、人生をより豊かにしたいと思い、とても頑張っていた。
店長は、基本的には数字で評価される。
その他のことも大切だけれど、会社から評価される指針は数字をどれだけ良くするか、である。
年数を経ると仕事にも慣れ、数字の見方や改善方法がわかってくる。そして、効率を上げることが数字改善に繋がることがわかってくる。
そうしてわたしは、徐々に数字としての結果を出すことの面白さを知り、効率を上げることに注力した。
そうすることで、結果はそれなりについてきてくれた。表彰されたことも一度ではない。
けど、数字の面白さに夢中になって効率を求める途中で、たくさんのものを削ぎ落としてきたことに、ふと気づく時があった。
そして、その中に、わたしの好きなものや大切に思っていたものがたくさんあったことに気づいた。気づくのが少し遅かったように思う。
時を経て、今は生後数ヶ月の赤ちゃんと過ごしていて、お仕事はお休み中。効率とは無縁な世界で生きている。
たとえば、近道より、たのしい道を選んで通る。
犬猫が見えたら、立ち止まって、子に見せてみる。
赤ちゃんの時間にあわせて動くので、すんなり電車に乗れることはほぼない。
でも、そうやって過ごしていると、
効率を大事にしていたときには出会えなかった世界で、今、生きている感覚がある。
道ゆく方に助けてもらったり、声をかけてもらうことが増えた。
わたしも、困っている人に声をかける機会が増えた。
自分が思っているより、街の方々に気にかけてもらえていることに気づいた。
人のやさしさを受け取る機会が増え、そして笑顔で受け取ることができるようになった。
効率を追求していた時間は、いい経験だった。
でも今は、それよりももっとささやかなことに目を向けられる余裕を持ちたい。
「今どう感じるか」自らの感情の機微を味わえるような、ゆったりした時間の中で過ごしていきたい。
今はただ、そんな気持ち。