自分の中に満たされる幸せを見つける
昨日は朝晩の2回、母と電話をしました。
母には、自分が不幸である以上、息子も同じ時間帯において、少なくとも大変ではあるべきという、残念な思考回路を持っているらしく、やむなく大変な状況であるという、小さな嘘をつかざるを得ませんでした。
「何が幸せか」という問いは、年を重ねるごとに複雑さを増すものですが、僕の母にとっての幸せとは何だったのかを夜に考えていました。
父が健在だった頃、母は父との二人暮らしを通じて、それなりの安定した生活を送っていました。しかし、母にとって父は単なる伴侶ではなく、もっと深い存在でした。兄弟や近くに親しい知り合いがいなかった母にとって、父は日常のすべてであり、唯一の友人でもありました。そのため、父を失った母には、単なる伴侶を失う以上の喪失感が残ったのです。
母にとっての幸せがどこにあったのかを振り返ると、父が母の不満や苛立ちを受け止めてくれていたことが大きな要素だったように思います。
母の感情的な支えが父に集約されていたため、父なき後、母はその拠り所を失い、感情的な孤立を強く感じるようになり、母の人生には大きな空白が生まれました。
僕が独身であったなら、母にとってもう少し支えになれたのではないか、と考えることもあります。
しかし、それもまた簡単な話ではありません。
母は価値観が古く、僕が長く独身でいることを、感情的に許すことはなかったでしょう。実際、僕のことを結婚へと強く促したのは母自身でした。そのため、母が私に独身を求めていたわけではなく、むしろ結婚という形式的な幸福を求めたのです。
ところが、結婚後の現実は母が望んだようなものではありませんでした。僕の妻との折り合いが悪く、それが結果として母と孫の関係にも影響を及ぼしました。母は孫との距離が広がったことに不満を感じ、それが新たな不満の種となりました。こうして、母が求めていた「幸せな家族像」は、現実とはかけ離れたものとなってしまったのです。
母の人生を振り返ると、一貫して他人に自分の幸せを委ねる傾向があったことに気づかされます。父が母の感情のはけ口となり、僕の結婚を望んだことも、本音には世間体と、息子が自立できなくなった際に独身では困るという自分本位の思考が根底にあったように、母は常に自分の幸福を周囲の人に依存していました。
精神的に真に自立することなく、他人に自分の幸福の担保を求めていた母にとって、老後の生活が不満や恨みに満ちたものになるのは、ある意味で避けられない結果だったのかもしれません。
「何が幸せか」という問いに対する母の答えは、常に誰か他の人に期待を寄せる形で作り上げられてきたように思います。そして、その期待が現実と食い違うことで、母はいつしか幸せを見失い、結果として孤独や不満が残るようになったのです。
母の今の姿を通して、他者に依存することなく、自分の中で満たされる幸せを見つけることの重要性を改めて感じます。幸せの形は人それぞれですが、少なくとも母にとって、その答えは今でも、曖昧なままなのかもしれません。