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お互い忘れることは都合良い

 一昨日の朝、僕が母に電話した時には、一方的にものすごい剣幕でまくしたてられて、電話を切られてしまいました。

 ただ、母がその時、何のことでそんな剣幕になっていたのか、未だによくわからないんですよね。

 うっすらとわかるのは、住まいに対する不満さえ解消すれば、自分の現在の生活は良くなるはずという、思い込みのメッキが剥がれかかり、自分のことを誰もが気にかけてくれない、寂しい荒野はどこに行っても変わらない、という心の奥底にある孤独の穴が露呈し、それを母自身が見せつけられて、動揺、混乱したのではないかということです。

 一人一人は、住む世界が違いますので、何となく賑わっているようにみえても、仲良さげに見えても、孤独の穴を隠すために、感情の翼をお互いに広げ、穴を覆っているに過ぎないわけで、人は基本的には、孤独な魂を抱えて生きているのだと思います。

 これが、社会のさまざまな人の集まり、それは地元の自治会とか、会社とか、学校とかに、成員として属しているうちは、成員として守るべきルールとか、人間関係という名のしがらみに、面倒くささを感じながらも、それらの面倒事も込みで、メッキを厚くすることができます。

 おそらく、働き盛りのころというのは、このメッキが相当厚い状態にあり、時には一人になりたいとか思うのでしょうし、家族も持っていれば、子育てやそれに付随しての人間関係の広がりもあったりして、たまの一人旅に心の安らぎを覚えたりもします。

 でも、年齢を重ねて生き続けることで、そうしたメッキは剥がれていきますし、その分、自由にもなります。当初はしがらみのなくなったことにホッとするわけですが、メッキは容赦なくどんどん、剥がれ落ちてしまうので、さすがに寂しくなる。最後は親子とか、結婚していれば夫婦だけになり、夫婦も別れが来ると、一人になります。

 孤独の穴は、直視するのは耐えがたいので、メッキが剥がれてきたところで、意識して人のつながりを作る必要があったのでしょうが、それまでしがらみの少ない生き方をしてきていると、年齢がいってからつながりを作るのは、結構大変で、つい、夫婦関係の慣れたところに、もたれかかってしまう。

 その結果、夫婦の別れの局面で、メッキがすべで剥がれ落ち、いきなり孤独の穴の虚空に、心を焦がされてしまうことになります。

 母の様子をみていると、人のつながり、何となく与えられている時は、そのありがたみわからないですが、なるべく、今のうちから、自分もしがらみは持っておいたほうがいいのだろうと思います。

 仕事の関係って、去る者日々に疎しで、潮が引くように消えていきますからね。基本的に、退職してからも顔を出すような人は、疎まれこそすれ、歓迎されることはありませんからね。

 話は戻り、昨日の朝は、母に電話したら、一昨日の剣幕のことは、僕と電話で話をしたという事実ごと、記憶から消えているようで、むしろ前日に電話がなかったので、心配していたというような感じでした。

 こうした電話を巡る丸ごと記憶抹消は、半年ぐらい前から、母にとって都合の悪い電話に限り、よくあるので、認知障害の一つだろうとは思いますが、一方で、母の身を守り、お互いの関係性を維持する、自己防衛本能的な機能が、認知障害による取捨選択の中で、はたらいているのかもしれないと、あまり根拠のないことを、考えてしまいました。



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