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普通科と一般事務について考える

 熊本県知事が「普通科と一般事務は要らない」と発言した部分を切り取られ、批判されているようです。

 たしかに、この発言自体は、このまま額面どおり捉えると、極端なのかもしれませんが、今の世の中の風潮には、感覚的はそんなにズレていないのだと思います。

 今は高齢化で、介護や看護、保育などの専門人材が足らず、海外に広く人を募っている状態ですし、人を必要とする、運輸業界やものづくりの現場は、どこも人手が足りません。

 また、学校教育の実学重視というか、世間に出て即戦力になるために、投資に必要な金融教育とか、情報技術の知識を持たせることに、躍起になっており、理系人材が足らないからと、教養学部的な、遊学的な要素の強い学部や、大学での一般教養は、否定されがちな風潮にあります。

 とはいえ、学生時代は猶予期間であり、10代の人間に、進路への確固たる信念を持たせ、それも社会の要請する方向に誘導しながら、というのは、大人の都合であり、少なくとも僕がそうした年代にあったときのことを考えると、そうやってキャリア教育ノートのようなものを渡されて、「さあ、早く決めろ」と急かされても、困るような気がします。

 また、大人になってからの収入とか、社会的なステータス、リスクの低さを考えると、金融とか商社とかが就職先としては有利ですし、専門職になるにせよ、大学に入ってから勉強すればよいわけで、学びの環境を考えても、普通科を選んでそうした選択肢を持っておこうというのが、自然な考えのように思います。

 当然、普通科でもトップ校とそうでないところでは、その先の進路に差があり、大人の本音を言えば、下の方の高校の普通科にいるぐらいなら、工業科とかに入ったほうが就職に有利だし、社会の要請に合っているということなのでしょうが、
現実的に学びの環境がイマイチなのと、普通科もグラデーションになっていて、どこからがダメとか明確な線引きがないので、人情として、下の高校でも頑張って良い大学に入りたいというのが、当事者である学生の思いではないでしょうか。

 で、一般事務ですが、これも、銀行の窓口業務とか、役所の窓口部門、企業の庶務部門のようなところは、30年前とかからすると、窓口は集約され、人数も減らされて、それこそコールセンターで一元的受けていることが多く、何か利用者側にトラブルがあっても、近くに相談するところがない、という目にあった人は、少なくないでしょう。

 数少ない窓口も、たとえば役所の市民部門などは、会計年度任用職員が多く、正規職員はわずかですし、会計年度任用職員の多くは、昔であれば家にいたような高齢者とか、子育ての終わった女性などで、他の分野でもバリバリにできる人を奪ってきているわけではありません。

 こうやって考えると、社会全体で人が足らないし、特に介護や看護の現場、ものづくりの現場、運輸業界などは、人がいないことでコールセンターにするわけにもいかないし、自動化とかロボットへの代替も、オペレーションが複雑であるために、簡単には進まないという現状があり、
目先の問題を解決するために、とにかく普通科とか事務職といった、遊ばせているようなところから人をはがして持ってくれば、何とかなるのではという、イメージ先行、アリバイ作りの議論のように思います。

 でも、実はそうしたことを主張している大人たち自体、それが人生にとって最適な選択と信じていないわけで、自分たちはハイクラス人材なので別にしても、そうでない人間が、社会で必要とされるところに配置されるべきという、ある種傲慢で、悩み多き若い世代の当事者の思いに対して、無責任なところを見透かされるから、笛吹けど踊らず、なのではないでしょうか。

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