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たかが130円で信頼残高をすべて失うことの怖さ

 僕は先日、コンビニのセルフコーヒーで前に使ったカップを持ち込み、コーヒーを入れたことで万引きとみなされ警察に通報され、警察から職場に通報がなされ、職場では大騒ぎになったという話を耳にしました。

 価格にして130円とか140円程度のカップコーヒーをタダで飲もうとした結果、警察の聴取を受け、さらにそのことが職場にも伝わり、場合によっては家族にも知れることとなり、本人にとって非常に大きな損失となったのではないかと思います。

 それでも未成年であれば、まだ社会として育成する責任があるとして、更生の機会を与えられ、最終的には過去の若気の至りということで消化することができるかもしれませんが、
大人がやってしまうと、それまで職場や家庭で積み上げてきた信頼残高をすべて吐き出してしまうほどのダメージを受け、再び信頼残高を積み上げようにも、信頼されないゆえにこれまでのように残高を積み上げる機会が大きく減少してしまいます。

 ですので、元の信頼残高に戻すには、それ以前の何倍も努力して、まずは信頼を取り戻し、そこから少しずつ、残高を積み上げられるご縁を頂き、着実にこなすことで、残高を増やすことになります。

 これは、何をするうえでも、大きなハンデになってしまうわけで、おそらく、その道のりの厳しさに耐えられず、さらにストレスを重ねて繰り返してしまう、そして信頼残高はゼロのまま、能力や適性がありながら、信用がないために、あらゆる機会を失ったことの、末路だと思います。

 もちろん、このような出来事の背景には、単純な"出来心"だけではなく、経済的事情や仕事上のストレス、あるいは家庭内の不和といった問題が絡んでいる可能性があります。それらの問題が日常の中で蓄積し、意識の表層に現れた氷山の一角のような行動が、このような結果を招いたのかもしれません。しかし、それにしても代償があまりにも大きいと感じざるを得ません。

 人は縁さえあれば、どんな恐ろしいこともなしてしまう可能性があるので、完全に防ぐことは難しいわけですが、それでも、僕が思うに、この種の出来心による行動を未然に防ぐためには、普段から自分自身の中で思考実験をしておくことが重要ではないかと思います。

 僕が今まで書いてきたことというのは、そういう意味では、僕自身に対して思考実験をすることで、躾をしているわけであり、人から他人事として聞くより、自分で書いてみて、心に落とし込むほうが、自分の行動に対して制約を与えることが可能になります。

 「もったいない」という心は、一見、自分の中の合理的な判断の結果のようにみえるのですが、実のところ結構な曲者であり、「もったいない」という心に囚われてしまうと、微々たる経済損失を取り返すために、人をしばしば不合理な行動に走らせてしまいます。

 もちろん、限りある資源をむやみに費消することは、良くないことに決まっていますが、自分の心身と無形の人的ネットワーク、信頼残高こそ、人生において何よりも大事で、かつそれらを金で解決することができないので、欲に振り回されてとんでもない結果にならないよう、心していきたいと思います。


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