自身の万が一に思いを致す
正月から何を考えているのかと思われるかもしれませんが、大きな地震が起こった直後ですので、万一のことに思いを致した人は、少なくないのではないかと思います。
昨日は寝る前に、自分が今夜眠りにつき、そのまま、この世を去ったらどうなるだろうかと、考えました。
まさに自分の父がそうした状況で亡くなったわけで、遺された家族としては、パソコンのログインパスワードもわからず、どこになんの書類があるのかも全然把握していなかったため、事態の把握に何か月かかかってしまいました。
それでも、送られてくる請求書や、各種郵送物を頼りに、僕が主となり、いろいろと手続きを進めることができましたが、僕自身の場合、ほとんどをネット上で完結させているので、財産管理をはじめ、手続きを進めることは容易ではないと思います。
一応、家の共有ハードディスクに情報管理フォルダをつくり、そこにアクセスすることでログインIDやパスワードがわかるようになっていますが、証券口座だけでも複数に分かれており、母の口座も管理しているため、複雑を極めています。
ただ、考えてみると、突然の災害で持ち出す暇もなく逃げ出して、その間にパソコンや共有ハードディスクが失われたり、自分自身が旅先や職場で病気や事故で亡くなっても、同様の事態になるわけで、自分がいなくなることへの備えは、まだまだ不十分だと感じました。
少し面倒ですが、やるべきことの優先順位のようなリストを作成し、それを見ればやるべきこと、捨ててもいいことがわかるようなものを、残しておかないといけないと感じました。
ただ、自分自身のことを考えると、ある意味、人に見られて「恥ずかしい」ものが残されていないかが、一番心配ですね。そこまでいかなくても、やりっ放しにしておくのは、自分の生活態度を赤裸々にしてしまうようで、できれば「生前の自分と整合を取って」世を去りたいですね。正直、残したら恥ずかしいものは、ダイレクトではないものの、いくつか持っており、どこかで捨てる必要はあると思いつつ、現状、踏ん切りがつかず、仕方なく残しているものはあります。
そう考えると、一つ一つのことを片付けないと気が済まないという、妻の性格に対し、これまで僕は、明日やれることは明日やればいいし、いちいち済ませようとして、気疲れしなくても良いのにと、思ったりしていたのですが、突然ふりかかる災厄を考えると、一つ一つカタをつけておくことは、大事なのではないかと、昨日の地震を縁に、考えるようになりました。