保護膜から脱するとき

 最近、巷間に溢れる情報の多くは、先行き不安を感じるものが多いように思います。災害リスク、感染症の拡大、国際的な緊張感、そしてこの何年かの日本のファイナンスを可能にしていた日銀の金融緩和の限界、身近なところでは燃料や食品価格の高騰といったところです。誰かに問題解決を委ね、解決できないことの責任を押し付けているうちは良いですが、多くの人は、人任せにしていたツケを払わされることになります。さまざまなリスクがどのような形で、いつ発現するかはわかりませんが、この先、数十年は生きるつもりであれば、未知のリスクや、制度的な破たんも含め、いくつかのリスクによってダメージを被る可能性は相当に高いと思います。

 リスクによるダメージを減するには、自分の打たれ強さ、レジリエンスを高め、受け身を取れる練習をしておくことは大事ですが、自ら求めて厳しい環境に身を置いて、そうした打たれ強さを身につけるのは、案外難しいものです。自分に対してはどうしても手加減してしまうし、時間軸も緩くなってしまいます。結局、自分を強制的に試練の場に連れ出すような外部の力がないと、リスク発現との時間の競争に敗れてしまうように思います。ただ、いきなり強力な圧がかかると、折れてしまう可能性もあり、難しいところです。このところ、自分を保護膜に包んで過ごしていたのですが、年度替わりより保護膜は取り去った状態に身を置いて、外気に晒すことになりました。一度、折れた経験があり、不安はないわけではありませんが、先々のリスクへの対処を考えると、保護膜は取り去って歩むことは不可欠です。試練を与えてくれることに感謝しつつ、言い訳できない環境の中で、自分の力を試してみたいと思います。

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