デジタル教育という幻想
先日、「デジタル教育の幻想」という本を読み終えました。
本書では、社会のエリート層が主導する「理想のデジタル教育」が、現実の教育現場にどれほどの負担をかけ、最終的に児童生徒たちの学びに悪影響を与えているかを指摘しています。
ある意味、精選された教育環境で学びに不自由なく過ごしてきて、社会のエリート集団の中で物わかりの良い人間の中で長らく生活してきた学者や官僚にとっては、デジタルツールやオンライン授業を導入すれば、学力向上が自動的に実現するかのように考えてしまいがちですが、
現実には、生徒一人ひとりの学力や理解度には大きな差があり、画一的なデジタル教育の導入を、その理想どおりに着地させるのはほぼ不可能であることを、著者は指摘しています。
印象的だったのは、著者が「理想の中学生像」に対して強く問題提起している点です。
政策決定者たちはしばしば「中学生は純粋で、前向きに学びに取り組むべきだ」という理想を押し付けがちですが、現実には、多感な時期にある彼らは、必ずしも大人が描くとおりに動くわけがなく、
優秀な生徒であっても、授業中に他のデジタルコンテンツをこっそり視聴しているのが現実です。
こうした現実を無視し、「理想の中学生」という幻想に基づいた教育改革を進めることが、現場をさらに混乱させていることを指摘しています。
たしかに、部外者の僕からみても、一部の政治家と経済界の思いつきにより、事前のシミュレーションやトレーニングが不十分なまま、教育現場にデジタルツールをぶち込んだことで、教師の負担は増え、そのことで人材確保が一層困難になり、教師が教室で普通に転職を考えていることを口にせざるを得ないほど、追い込まれている。
教育は外野が口をはさみやすい分野ゆえ、その思いつきがかえって状況を悪化させているように感じます。
もちろん、著者の主張は、かなり尖ったところがあり、教育関係の書籍としては、これ一冊で必要な栄養素を摂れるわけではないとも思います。
とはいえ、著者が主張するように、教育は、単なる学力向上を目指すだけでなく、生徒たちが人間としての成長を遂げる場であるところ、現場のマネジメント経験のない、勉強が苦痛である人の気持ちのわからないエリートが、無邪気な思いでデジタル技術を過度に推進することが、教育現場の努力を押し流しかねない危険性にフォーカスをあてている点において、一読する価値のある本だと思います。