書くことで冷えた心を温める

 新たなところに踏み出そうとしている時、心は不安で満たされます。朝起きて、まずは不安が先立ち、寝ていること自体が苦しくなってきます。不安な心で自分の人生を振り返ると、現在の立ち位置に不安と不満があるので、どうしてもそれまでの選択肢の一つ一つが。何か失敗したこと、判断を誤ったことの連続のように思えてきます。目に入る情報も、自分の生き様を否定するような内容と受け止めてしまい、これまでの無為を批判されているような気持ちになります。特に最近は、不安を煽る情報には事欠きませんので、そうした状況に対処できていない無防備な自分、という思いを補強してしまいます。

 こうしたネガティブ感情が回ると、どんなことも自分を否定しているように受け止めてしまうし、どん底に向かって歩み続けてきた、間違った選択を繰り返してきた人生と思ってしまいます。現在、どん底にいると感じてしまい、年も取ったし、いろんな重しを抱えているから、浮かぶこともできないと思い込み、人生の底を突き破りたくなる衝動にかられます。表面的には人とつながり、毎日変わりなく生きているように見えても、自分の内面にここまでの世界を作り出すことは可能であり、その状況下での判断は時として自分を生きていることから解放したい、人生の底をぶち抜いてしまいたいという気持ちになる、周囲からすると驚くような行動も、内面に生きる自分の選択としては至極まっとうであり、その判断を変えるには、内面に介入するしかない、でも他者は直接は介入することは不可能だと思います。

 ここまで思い詰めてみて、やはり大事なことは、自己肯定の物語を持ち続けることだなと思います。少なくとも、僕自身は一度は精神的に死んで、すべてを投げた人間です。ただそこでとどまらず、何とか自分を立て直した。周囲の人間関係に恵まれたこともあるし、自分が自分一人のものではなかったというのもありますが、回復の中途からは、僕の人生に自己肯定の物語をあてはめ、その力を借りて戻ってきました。僕の場合は人生を否定できる黒歴史的な要素は抱えたままなんですが、それは切り離すには大きくなりすぎているし、共生して生きていくことが僕自身の価値を生み出しています。それがもたらしてくれた恵みも確実にあります。

 4月からは、一度はどん底に落ちた自分の、2年半を経て完全復活をするまでの前人未踏のロールモデルの、仕上げの一年になります。僕自身は、第一に望んだところには行けなかったわけですが、周辺状況を見る限り、一年後に再度、自分の望みへのトライのチャンスが来る可能性は高いですし、時間を効率的に使って困難に対応し、自分の気持ちをうまく切り替えることで、生産性なく悩む時間を減らし、未来への投資の時間を確保していくことで、それは十分実現可能だと思っています。過去を全肯定するには、僕はもっと表に出て、そして裏面も堂々と見せられる人間に成長する必要がある。その時に多くの賛同を得て、自分も自由を獲得できる、その夢を抱きつつ、日々の困難に対しては気を入れて対処し、寄り添い傾聴に徹することで人の心を動かしつかみ取り、歩むうえで障害となる困難を乗り越えていきたいと思います。

 やはり、書いていくことで、冷えた心が温まっていきますね。書くことの効用を教えてくださった方に感謝です。


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