人に任せることを覚える
昨日は役員に対し、今度の全体会議で提案する案件について、説明をしました。
今年の3月までの2年間、僕はこうした重要案件の役員説明という場面では、ほぼ例外なく、僕が直接説明し、それどころか、僕が日程の調整から説明資料の作成、資料の裏どり、同席するメンバーの選定まですべて行い、完全に自分だけが理解するフィールドの中で説明をしていました。
今回の役員説明は、僕は冒頭部分だけ呼び水のような説明をして、あとの中身の説明は担当リーダーにお任せしました。説明内容についても、リーダーたちの方が詳しいし、資料も説明の仕方も、リーダーが基本的に組み立て、僕は事前のレクで少し意見を述べただけです。
僕が管理ポストを担うようになってから、しばらく経ちますが、初動からスーパーハードな管理ポストであったため、自分が持てる力をフル稼働して動くのが当然、資料も下に作らせても基本、全部手を入れて、モノによっては原形をとどめないこともあり、とにかく自分ファーストの資料に作り込むことを是としていました。
4月にここにきて、法務のエキスパートである年上の総括補佐役が大番頭として部門を取り仕切っており、しっかり自分の考えを持っていますし、問題が発生してもまずは大番頭対応、基本は事後報告で、本当に判断が必要な場合だけ、僕に相談が来ます。
アンテナを高くして危険を事前に察知しようとしても、統治領域が広すぎて、アンテナが拾いきれません。仕方なく、アンテナを無理に伸ばすのをやめて、待つことにしました。
来てみて1ヵ月あまりで、この部門では新聞を取っていないのだなと思っていたのですが、実際には何紙か購読していて、ただ、基本的に誰も目を通していないし、クリッピングして関係あるトピックを部門で共有するようなこともやっていません。
確かに、日々のニュースで業務が動くようなことはないので、そもそも追いかける必要がないのでしょう。
このへんは、朝早くに来て、まずは各紙に目を通さないと、どこからミサイルが飛んでくるかわからないような、前の部門とは、まったく違います。
いろいろ手放してみて、部門全体の仕事のやり方を自分好みに染めるのではなく、神聖ローマ帝国的なゆるい統治(本当にそうだったかはわかりませんが、何となくのイメージ)により、日々の統治は任せることで、おだやかな毎日を過ごせるようになり、精神的なプレッシャーが、これまでいかに強かったかを、実感しています。
自分がすべてを掌握すれば、僕自身は先々まで見通すことができますし、勝手知ったる中で戦う安心感もあるわけですが、仕様がカスタマイズされ過ぎてしまい、手直しを誰もできないようになっていた、このことも今は感じているところです。
ある程度、汎用的なツールを、みんなで使いこなしていく、機能が足らないことで、できないことも増えるでしょうが、本当にやる必要があるのかを考えて、必要性の低いものは、この際、そぎ落としていく、このことに、僕も慣れ、結果責任を背負う準備だけはしておく、そんなところに立ち位置を変えて、役目を果たしていきたいと思います。