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世間の華やぎの日に孤独な人の居場所をつくる

 のっけから重い内容で恐縮ですが、リンク先の集英社オンラインに、年末に高齢者の自殺が増加する要因についてわかりやすく解説した記事があり、僕にとっても、感じ入るところの多い内容でしたので、紹介します。

 年末や正月、五月の連休やお盆休み、シルバーウイークなどは、テレビではテンプレのように、帰省して家族や孫との再会を楽しみにする人のコメントが紹介されます。
 また、施設に入居している高齢者についても、ふだんは施設の中で同じように生活していても、年末年始は子どものところに帰る人が多数派であり、施設に残された高齢者は、寂寥の念を強く持つようです。
 こうして、普段はそれほど感じない、孤独の寂しさを、強く感じて、自分の人生に嫌気がさし、自ら命を絶ってしまう、そういう高齢者が少なからず存在することに、この記事は光を当てています。

 もう一つ、この記事には、地域の高齢者が参加できるようなイベントは、自治体をはじめ、様々な支援団体が実施して、高齢者の孤立を防ぐ取組をしているものの、そうした場に集まれるのは、ある程度、恵まれた境遇にある高齢者だけであり、孤独な高齢者は、他人の話を聞いて、かえって、自分のみじめさを強く感じてしまうため、そうした活動に行くことには気が進まない、地域が手を差し伸べたい相手に届かない、という問題もも提起しています。

 僕の母も、一人暮らしをしており、僕は毎週行ってはいますが、いろいろな経緯があって、母が80を過ぎて引っ越しをしたため、なじみのない現在の地域の活動には参加せず、青い鳥探しの無理難題を求めてくるため、実質的に僕だけしか接点がない状況です。
 ネットも使えないため、もっぱら情報源はテレビであり、テレビはそうしたテンプレの幸せ情報を流すことから、この記事に書かれているとおり、年末年始や連休期間になると、決まって気持ちが荒れて、僕が受け止めることになります。
 僕も含めて、そうした年末年始や連休といっても、いろいろと用事があり、母をのけ者にして、皆で楽しんでいるわけではないのですが、かといって、現状の母のところに行っても正直、楽しいことは何もなく、行けばいったで自分の意に沿う対応をしなければかえって不満を増幅させるだけのため、正直、僕自身も母が一人になってからの、年末年始は憂鬱であり、僕も付き合って、孤独に過ごすようにしています。

 僕自身は、こうした周期的な荒れ模様は、どうにもならずにしのぐしかないと思っていましたが、世の中にそうした高齢者は少なからず存在し、自ら命を絶つ要因にもなっているのであれば、そうした華やぎのときに、ピアサポートのゆるやかな時間をつくる。
 おそらく、お互いのことを、深く訳知りになるようなところではなく、例えば大晦日と元旦に、三々五々に集って、みんなで知っている歌をうたうような、そんな場があれば良いように思いました。

 年末年始は、公共施設はだいたい閉じていることが多く、そこがネックですが、できないことはないので、我がことと考えられるうちに、動いていきたいと思います。
 まあ、このへんは、リアルに紐付けられていると、なかなか言えないんですよね。恵まれた環境にある人からは、わからないところですから、自分自身も責められるような気持ちになってしまいますので。

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