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ガラパゴスと言われてもガラスの壁を取り払うしかないのでは

 国連女子差別撤廃委員会が、選択的夫婦別姓の導入を求める勧告を日本に行ったという報道がありました。

 僕自身はここで何度か書いてあるように、通称使用(旧姓使用)で生活しています。普段は通称で通しており、名刺に併記などしていないし、仕事を通じて親しくなった人であっても、話のきっかけがないと、旧姓使用であることを伝えないので、僕の本名を知る人は少なく、過去に旧姓使用であることを伝えた相手であっても、覚えている必要性がないので、普段は忘れてしまっていると思います。

 僕自身の考えとしては、当事者として夫婦別姓問題に悩む人はいるわけなので、そこを選択できる自由が確保されるべきと考えてはいますが、現実的に、現在の日本の家族単位の戸籍制度を、個人単位のものに変えないと、夫婦別姓にするのは簡単ではないと思います。

 また、価値観の問題から、絶対に容認できないというスタンスに立ち、それが政治生命に直結している政治家が、現在の日本の政治において、政権与党を中心に有力なポジションにいるため、夫婦別姓のために一連の改革を行うこと自体が、時の政権には相当なエネルギーを費やすことになります。

 少なくとも、盤石な政治基盤を持った政権で、差し迫った経済や安全保障上の問題がないタイミングで、夫婦別性を導入しようという強い意志を持った人が首相になれば、実現するかもしれませんが、今の政権には、そんなことができる体力はないと思います。

 であれば、ガラパゴス的ではありますが、社会的に浸透している、通称使用を、国内において、それこそ墓場まで通せるように、利用範囲を拡大することが、先ではないでしょうか。

 一つの名前で生活している人は、感じないと思いますが、通称使用していると、社会のあちこちでガラスの壁のようなものがあり、何気なく歩いているとぶち当たります。これを、まずは取っ払うことが先ではないかなと。

 旧姓使用が海外では理解されにくいと、経団連などは主張していますが、それこそ、日本固有の文化として、理解してもらうしかないのかなと思います。

 海外では通じないとかいう主張は、日本の伝統と夫婦別姓を結び付けている人に対しては、まったく響かないわけで、それこそ、日本の国家財政が破綻して、欧米の信託統治下にでもおかれない限り、当面は変えられないでズルズルいってしまう気がします。

 世の中、マイナンバーが普及して、全国民に固有の番号が振られれば、それが識別コードになるわけで、もともと、名前なんて同一の人がたくさんいて、識別記号として大して役に立たないわけなので、識別コードで本人確認ができれば、表の名前なんて、何でもいいように思います。

 もちろん、一つの名前だけで生活している、多数の人からすると、名前は大事だと思われるかもしれませんが、旧姓使用の制約により不自由している人があることや、余計な情報を第三者に与えたくないと思っている人がいることは、理解してもらいたいですし、
特に、結婚にあたって家制度の制約により、姓の選択でトラブルがあった人などにとっても、旧姓使用でどこまでも通せることは、当面の問題を乗り切る上では、必要な措置ではないかと考えています。

 


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