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時を越えて繋がる縁
昨日、四半世紀ぶりにある人物と食事を共にしました。
彼は、四半世紀前、僕が入社後、最初の異動で、インフラ関連企業の経営企画部門に出向していた頃、同じ職場で働いていた仲間です。
当時、僕たちは別々のラインに属していましたが、何となく気が合い、気づけば薄くではありますがずっと繋がっていました。とはいえ、再び同じ職場で働くことは一度もなく、ただ年に1、2回ほど、メールのやり取りを続けていただけでした。
当時はお互い、部下を持たない若手社員でしたが、今では彼はインフラ企業の技術担当役員となり、今年度末には役員職を退任し、業界団体で後進の指導をする立場になるようです。
僕には、このように「仕事では大して関わりがなかったのに、その後も細く長く繋がり続けている人」が何人かいます。彼らに共通するのは、当時お互いに漠然と好印象を持っていたことと、職場を離れた直後にメールのやり取りをして、その瞬間限りでない関係を確認できたことです。
職場で出会い、共感や何か通じ合うものがあったとしても、離れれば草木で結んだ庵(いおり)のように解かれ、やがて記憶も薄れ、時の流れと共に思い出すことすらなくなってしまうことが多いでしょう。
おそらく、もしメールがなければ、電話は用がないとハードルが高いし、手紙なんて到底あり得ない。そう考えると、僕たちの関係も自然と疎遠になっていたに違いありません。
メールやSNSで繋がっていると、3ヶ月に3回くらいやり取りをするだけでも、その後途絶えたとしても「関係は続いている」という感覚が残ります。完全に途絶えてしまうと、再開には何かしらの「きっかけ」が必要ですが、年に数回の何気ないやりとりがあれば、復旧も容易になります。
思えば、長らく年賀状がその役割を果たしていましたよね。ただ、最近では個人の住所を知ること自体が職場内でも難しくなり、昔からの付き合いがある人以外には、年賀状を出す機会も減りました。
それに、今の時代、必ずしも相手の「正体」を知らなくても、人と繋がれるようになりました。むしろ、顔も知らない者同士で共鳴し合うことも増えています。
形は様々ですが、立場を超えてお互いに共鳴し合う関係は、人生において非常に貴重です。こうした繋がりを大切にしながら、人間関係のメンテナンスを意識し、今後も機会があれば、こうした縁を増やしていきたいと思います。