親戚との久々の再会

 昨晩は久しぶりに親戚の家に泊まりました。久しぶりというのは、前回は実に38年前であって、まだ子供だったときです。今回は一人で泊まりましたが、前回は確か、弟との二人での夜行列車旅で、あとから父が車で来て、帰りは3人で帰る、そんな感じだったと思います。四人家族だった親戚の家族も、叔父さんは施設に入居し、長男の従兄は別に家を構えて、次男の従兄と伯母さんの二人暮らしで、家も38年も経つと明らかに古くなっていました。

 子供の頃は双方の家族8人で賑やかな晩御飯を囲み、その時の普段の生活では味わえない和気あいあいとした雰囲気とご馳走は、子供心に輝いて見えました。親戚と語り合うことで、当時のことを懐かしむと共に、この先の5年、10年の歳月の重さを知らされ、そこには少なくとも親戚という関係性においては失うものが多いであろうことを想起させ、何やら寂しさも感じました。

 親戚は生を享けてこの世に産まれ出たときから、父母を介して濃いつながりがあり、それを当たり前のように思い、いつでもつながることができると思うと、案外、会わずに10年、20年は簡単に過ぎ去ってしまうし、時間を超えて親族の絆を確認しても、記憶の断片の繋がりしかなく、父母を通じての関係なので、親が老いて、行き来が少なくなれば、さらに、自分も家族ができて生活の中心軸がそちらに移っていく中で、近所に住んでいたりして、そこであらたなつながりができなければ、次第に疎遠になっていきます。

 結局、親戚のような人間関係も、過去の蓄積にすがれば朽ちていくわけで、今日より若い日はないという、歳月が削り取る自身の可能性について、残された部分を磨き微差を積み上げて自身を高めることで、自分を取り巻く人間関係の再強化をはかり、自身が抱えるリスクを分散し、これからの困難な時代を乗り切る絆にしていきたいと思います。

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