リスキリング流行の中の協会ビジネス
昨日、「協会ビジネス」という言葉を初めて知りました。
まず、協会を設立して新たな資格を創設し、資格取得に必要な試験制度や講習会の仕組みをつくり、資格取得者に対しては、より高度な講習を受講させます。
この高度な講習を受けた有資格者を、協会公認のシニアリーダーに認定し、後進の指導と資格伝道師の役割を担わせ、そこから育ったシニアリーダーが、さらに指導者と伝道師の役割を担うようになり、というように、最終的には有資格者を次々と協会側に取り込み、ピラミッド状に有資格者の裾野を広げるビジネスのことを指すようです。
資格取得に必要な試験の検定料や講習の受講料に加え、資格更新のために有料講習会の受講を義務付けたり更新手数料の支払いを求め、さらに公認シニアリーダー向けの有料講習会も開催、シニアリーダーには後進の指導料の一部が入る仕組みとする、この一連の流れがシステムとなり、協会に安定的な収入が得られるようになる、これが理想的な協会ビジネスの成功例です。
ただ、当然ながら、新たな資格の創設当初は、社会的認知度が低く、就職や昇進どころか、自己承認欲求も満たしませんので、思いつきで適当に資格を創設しても、そこに人々が価値を見出されなければ、協会の維持費用だけがかかり、いつまでも収益構造が構築できません。
ですので、何らかの社会的要請が高まり、そこにフィットするような既存の資格がなく、既に社会的地位を確立している、メジャー資格の保有者が、その協会の創設した資格も取得することが、実務上も有効であるなど、まずは何らかの即効性が求められるように思います。
また、合格基準の設定も難しいところで、間口が広すぎて資格取得者の質が悪ければ、資格自体の評価も上がらず、不人気なご当地検定のように、いつの間にか消えていくようなことになると思います。
こうした、新たな資格を創設する協会ビジネスが注目されているのは、この国の先行き、自分の属する組織、自分自身のスキルといったものに漠然とした不安を感じており、何となく役立ちそうな資格を取ることが、不安を軽減させることにつながり、「資格を取るために勉強している自分」というものにとりあえず安心をしたい、そうした社会全体の雰囲気の表れのように思います。
また、政府もしきりに学び直し、リスキリングといった言葉を並べ、そこに予算を投入しようとしています。
生産年齢人口の減少が、生産性の向上を上回る勢いで進んでいるため、社会の各所で人手不足が顕在化しており、業種間の余剰人員の移動を円滑に進めるための方策として、リスキリングが推奨されているわけですが、
現実的には、処遇面の課題から、人手不足が深刻なエッセンシャルな分野にシフトする方向には進んでおらず、DXでもてはやされているデジタルは、進化の方向性自体が年単位で大きく変化しており、追いつくには相応のエネルギーが必要であり、中高年になって学び直しで少し齧ったぐらいでは、その業界に進めるわけでもありません。
生成系AIの進化系は知的遊戯の宇宙に飛躍しているようですが、現実社会の多くの人が追いついていない現状では、先端的な活用方法を社会のシステムに実装するのは難しく、生成系AIの処理速度を上げても、それを受け止める人間の認知に限界があります。
これはあくまで僕の個人的な見方ですが、生成系AIは、問いの質を高めない限り、自分の仕事の質の向上はもたらさないし、問いの質を高めるには、臨床を積み重ねるしかない。
生成系AIは、問いの質が高い人にとっては、8割の答え合わせであり、残りの2割にこそ臨機応変の力が試されるので、生成系AIを使いこなせることが、自分の価値提供の主軸にはなりえないと思います。
話はそれましたが、世の中、リスキリングの言葉が躍っているだけで、社会全体にある人的資源をどのように配分するかの国全体の方針がなく、そもそも人的資源の絶対数が足らず、働き方改革により一人あたりの労働時間数も減少させる方向になっていることもあり、個々の努力にもかかわらず、状況は深刻化しているように思います。
こうした状況においては、リスキリングで、とりあえず頑張る自分を見える化するためにも、各分野の知識やスキルを資格という形にする協会ビジネスは、時代の要請にこたえているのでしょう。
ただ、それが実際に役立つのか、自分の貴重な時間と認知とお金を費やすだけの価値があるのかについては疑問であり、自分がどのような道に進んでいくのか、それに必要なものは何かを見極めたうえで、資格取得に動かないと、参加賞のメダルだけが増え続けることになりかねません。
とはいえ、僕も含めて、自分が何者でありたいのか、どこに処を得ることが人生にとって良いのかを見極めるのは非常に難しく、とりあえずの安心を資格で買いたいという気持ち、これはよくわかります。