読みだしたら止まらない本のあの感覚を手に入れたい
このところ、夜9時前には本を読んでいて猛烈に眠くなるので、そのまま寝室に直行して眠るようにしています。
本当は、食べたあと、あまり間を置かずに眠るのは、消化に良くないのでしょうが、今は自分の体の欲求に素直に従っている感じです。
それで、4時間ぐらいで目が覚めて、日付が変わって午前1時とかに起き出し、パソコンに向かっています。
これだと、家族は寝入っているので、自分の時間として自由に使えますし、夜中にいろいろ終えておけば、朝5時以降の時間をほかのことに充てられます。
数日前にも書きましたが、三角関数に目覚めており、高一のときに超えられなかった壁が、超えられる、そんな感触をつかんでいます。
わかりやすい、学び直しの数学の本はあっても、基本は覚えるしかないし、覚えたことを定着させるには、自分の中で「落ちる」よう、構造から理解する必要があります。
自分にとっては、英語も似たものがあるのですが、わかりやすい本って、手に入れた当初は、自分のやる気に満ちているのですが、必要性に迫られていないと、つい基本をおろそかにして読み進めようとして、挫折してしまいます。
挫折して放置されているのですから、必要性に迫られてはいないわけで、それだと、どうやっても認知が受け付けないんですよね。
認知は限りがあって、年齢を重ね、社会的に責任を多く抱え込むと、やるべきことがどうしても増えてきて、国家予算のように、義務的な経費で認知は使い果たしてしまいます。
読み始めて止まらなくなる本と、時々出会うことがありますが、あの感触に至らないと、とにかく認知消費の燃費効率が悪く、司令塔からすると、そんなところで貴重な認知を使うなということになります。
人生の後半戦を意識する現在の僕にとっては、現時点において必要性の低いと思われることに、認知と時間を費やすことはできない、これはよくわかっています。
とはいえ、現時点で必要性の高いものだけに注力してしまうと、この先の人生の広がりがなくなってしまいます。いまだ処を得ていない以上、できれば自分の関心領域を広げて、いろんなところに未来に刈り取る種をまいておきたい。
好きこそものの上手なれといいますが、いかに「好き」に持ってくるか、あの、読みだしたら止まらない、ぐいぐい引っ張られるような状況に持ち込めるか、初動における工夫が、自分の引き出しを増やすうえでは、大事になっている気がします。