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兵庫県知事選挙に絡めた雑感

 僕にとっては少し遠い国の話なわけですが、兵庫県知事選挙で斎藤前知事が再選されたのは、意外な思いを抱きました。

 確かに、パワハラとかおねだりとか、前知事の言動すべてが悪いかのような報道はやりすぎという気がしましたが、公益通報保護法の観点からは、前知事の対応は適切ではなかったと思うんですよね。このへん、NHKがこの問題について、うまくまとめていると思います。

 この件では内部通報者の職員が自殺してしまったり、側近に当たる幹部が相次いで辞職したりして、ヒートアップしすぎてしまい、オールバッシング報道の勢いに乗じて、公益通報への対応を十分に議論しないまま議会が不信任決議に突き進み、失職に追い込んでしまったのは、早計だったように思います。

 自治体の首長と議会は地方自治の両輪とは言いながら、地方議会の存在感は概して薄く、知事が強力なリーダーシップを発揮するタイプの場合は、議会は事実上、知事のやることを追認するような状態なのだと思います。

 そのうえ、人事も自らが仕切るような知事であれば、職員は県庁という密室の中で生殺与奪の絶対権力者に対し、過度に忖度するようになるのは自然の流れであり、結果として、トップはどんな人であっても裸の王様になってしまう。

 そして、民主的なプロセスで選出されていても、専制君主と同様、制度的に絶対的な権力を持つと、自分の信じる善を糺される機会が失われ、歯止めが効かなくなる面はあると思います。

 特に社会が成熟した現在の日本においては、いろんな既得権益が複雑に積み上がり、義務的な経費が9割を超えている地方自治体においては、首長に裁量が与えられても制度的に身動きが取れないですし、
複雑すぎる行政の仕組みは、全体像を理解している人なんてほとんどいないため、選挙民にアピールするには、ばらまくか、身を削るかしかなく、県レベルでばらまける財源を持つのは東京都ぐらいしかないので、身を削る方向でのアピールするしかないのだと思います。

 話が少しズレてしまいましたが、僕が見る限りは、前知事の業績なるものは、どちらかと言えば身を削ったところをアピールしており、それが本当に適切なことなのかは、実は後になってみないとわからないと思います。

 SNSで流れた、疑惑のすべてが捏造であるといった主張などは、自分たちから乖離したところに「既得権益」なる牙城があるように思わせ、社会全体の仮想敵に仕立て、それに立ち向かう前知事という構図をうまく作り上げたものであり、個人的には荒唐無稽だなと思いますが、わかりやすさでは一枚上手で、前知事をバッシングしたサイドも、勝ち馬にのってよくわからずに叩いた人も少なくないでしょうから、お互いさまであり、アメリカの大統領選挙と似たものがあるなあと、感じてしまいます。
 


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