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ここまでの、これからの30年

 ニュースで、有名人が80歳で老衰で死去、なんて記事をみると、自分もあと30年もすると、そうした年齢に近くなるのだなと、自らの老いを感じざるを得なくなります。

 今は僕自身は、年齢をあまり感じずに生活できており、外見的な老いや、老眼や記憶力の低下といったところも、我がことになってはいないのですが、いずれまとめて、こうした老いに体が絡めとられ、行歩も叶わず、何事にも物憂げになる時がくるのでしょう。

 これまでの30年は、自分のスペックというのは、体重がトレンドとして7、8キロ増えた以外は、大病もせず、何かを失うこともなく、あまり変わらないところで勝負することができました。

 仕事も、組織により、常に新鮮な目標や材料を与えられ、おそらくは自分の属する組織としては、できる最大限を与えてくれたのだと思います。

 それにより、組織に対し貢献できたかといえば、自己評価はなかなか難しいものの、ある程度のパフォーマンスは挙げられた、これは他者評価の裏返しから、言えるのではないかと思います。

 とはいえ、顕著なぶっちぎりの成果を挙げたわけではないし、僕の持てる個々の価値は多くの場合、代替可能なので、対価を吊り上げるというわけにいかず、
結果的に、組織の稼ぐところの分配から、自分の生活の糧を得ており、前々から話をしていますように、自分で稼ぐとなると、組織の総合力で稼ぐ力を凌駕できるかといえば、難しいでしょう。

 これからの30年は、できなくなっていく中、使えない、習熟に時間がかかる、不得手な武器類を、やみくもに集めても仕方なく、どちらかといえば、今まで使い慣れた武器、それが槍であるなら、
槍の効果を最大化するための防具とか、槍の威力を増すための補助的な道具、あるいは力を無駄に使わずに、槍の威力を発揮できるフォームなどに、資源を集約して、自分の提供できる時間価値を高める必要があります。

 さて、何が僕にとっての得意な武器は何なのか、これが意外と難しく、つい、自分にとって、理想的な武器があるんじゃないかとか、移り気になってしまいます。

 これは、僕の持つ武器が、何か特定のポイントで顕著な効果を挙げるというより、個々の課題に対し、自分の立ち位置で、持てる資源で、周囲をうまく巻き込みながら、最適な解決を図る、そういうファシリテーターとしての力にあるからかもしれません。

 食わず嫌いではないので、郷に入れば、作法や人間関係、そこの強みや弱みもわかるので、そこにいる人たちから、「話せる相手」と思われるところまでの信頼感は、比較的早く得ることができて、
その信頼関係をベースに、何となく話し合って解決の方策を見出す。そこに自分の手持ちの過去経験のスパイスをふりかけて、仕上げ、また別なところに行く感じです。

 結局、この先も、自分のこの特性を生かして、無理にぶっちぎりのバロメーターの強みを持つことに固執せず、一見、頼りなさげでも、周囲の環境に依存しないで食うことのできる力を強みと自覚し、そこを磨くしかないのでしょうね。

 残りの30年は、これまでの30年のように、漫然と当たり前の毎日を過ごすことはできないのでしょうが、ぼんやり過ごしていると、すぐに至ってしまう時間でもあります。

 子どもたちの夏休みも出口が見えてきて、プロ野球も後半から終盤に差し掛かりつつあり、ここからは、年の瀬がつるべ落としのように迫ってくるこの時期、
今日もハードなイベントはありますが、これはこれで淡々と乗り切り、一日一日、自分の時間と向き合い、現状から逃げず、より良い未来を切り開いていきたいと思います。

 

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