踏みとどまれる強さ
1週間の疲れが蓄積しているのか、先週に引き続き、土曜日の今日はイマイチ気力がなく、特にスキル吸収系の本は、字面を心が上滑りして落ちるものがなく、何か無味乾燥なガムを噛んでいるような虚しい気分になり、長続きしません。
今日は初夏を思わせる気候で、花粉の飛散が多いみたいなので、花粉症の影響もあるかもしれません。まあ、こんな日もあるでしょう。
本題に入りますが、最近「日本の戦争はいかに始まったか(岩波選書)」という本を読んでいることもあり、勢いで振り上げた拳を下ろすことの難しさを感じています。
国家や集団を率いるリーダーが、冷静な分析をする前に、判断する猶予の外堀を埋められ、見切り発車で拳を振り上げざるを得なくなり、それが下手に衆望を集めてしまうと、自分の判断だけでは引くに引けなくなります。
往々にして、そうした拳を振り上げると、妥協を許さない強硬派を呼び寄せることになり、落としどころを探ろうにも、周囲がそれを許さなくなって、いよいよ選択肢が狭まっていきます。
これは、対立関係にある相手方にも同じ構造があるため、双方、完全勝利の期待値だけが高まり、当事者が水面下で、双方の核心的利益を探り、そこを尊重するかたちで「握る」ことはいよいよ困難になります。
こうして、事態は硬直し、永遠のテーマ化して、どちらにとっても良い方向に向かうことができない、どころか、さらに先鋭化して、状況は悪化の一途をたどる。その結果、破滅的な事態に至り、後々まで禍根を残すことになってしまう。
歴史を後講釈をできる立場からすると、なぜ破滅に至るまで止められなかったのか、と思ってしまうわけですが、渦中にあると、譲歩は即、リーダーとしての「立場」を失うことになるので、何を犠牲にしても、守らざるをえない、そして往々にして、囃し立てて付和雷同する連中は、物事の本質とか、落とし所が見えていない。周囲に人が集まっていても、リーダーの心は常に孤独です。
このような事態は、避けられるにこしたことはないわけですが、現実的には、起きることを想定して、その時どうするかを考えておくほうが大事になります。
拳を振り上げたあと、十分な分析がなされないうちに、期待値を高めることだけは極力避ける、周囲が熱くなっていても、自分は過度な期待に引きずられない、そうした、踏みとどまれる強さこそが、リーダーには必要ではないかと思います。