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学びと仕事のスパイラル雑感

 小学6年生の子どもが、そこそこ勉強はしているのですが、どうも親が言うから勉強してやってるんだという思いが根底にあるようで、どの問題集を勉強したらよいかわからないだの、親の勉強の教え方が下手から自分がわからないんだの、問題が難しくて解けなかったのは塾の先生の授業の進め方が悪かっただの、果ては消しゴムがない、ノートがどこかへ行ったという感じで、学びを自分事と捉えて、目指すところに到達するために現在の自分の実力を理解し、至らざるところを埋めていく、そうした気持ちにはなっていないようです。
 まあ小学6年生にこれを求めるのは無理な面もあり、中学受験に我がこととして向き合って、いろいろやりたいことも我慢して勉強に打ち込んでいる6年生は少数派であり、無理にそうした層に押し込むことが良いのかと、僕個人としては思うのですが、これを契機に学びの楽しさの片鱗でも感じて、そこから学びの世界を広げてもらう、その先に、我がこととして言い訳をあれこれせずに勉強していく、そうした気持ちになってもらいたいとは思います。

 ただ、世の中、仕事についても、生活をするために仕方なくやっていることであり、自分の持ち時間をお金と引き換えに捧げているように考え、そこになるべく使わない、奪われないようにするという考えの人も少なくないですね。時給で働いている人はもちろんそうですが、そうでない人も、お金をもらうための仕事ミニマムの時間管理を厳格に行い、そこからはみ出れば時間外をもらう、とにかく時間を差し出すことでお金をもらっているという考え方です。
 もちろん、通常の勤務時間を大幅に超過することは、自分の健康管理に関わることでもあり、現に、僕はこのところ、勤務時間の超過どころか、精神的に四六時中思考を仕事に支配されていたために、休みなく稼働する機械のような状態になってオーバーヒートしたので、それはそれで良くないわけですけど、極端にお金に対して仕事ミニマムという考え方は、職場でのリスペクトも決して得られませんし、仕事のクオリティもいつまでも上がらず、常にやっつけ仕事、勤務時間内に終わらせることが至上命題となれば、そこに達成感とか充実感は得られないと思います。
 成果だけを求められてフレックスで仕事しているような人以外は、生産性の高い時間帯を仕事に捧げることになるわけで、そこを常にやっつけで過ごしていると、人生が閉じていく、そういう人はクビになったりはしないのかもしれませんが、自分の現状において想像し得る、狭い領域で生きていくことになり、予期せぬ出会いや気づきにより、機会とご縁が広がることはない、年齢を重ねて、何らの強みを持つことなく、何者でありたいかという問いかけにも答えられない人生になってしまいます。
 仕事以外にそうした強みを持ち、仕事はミニマムという考え方、これはこれで一つの考え方ですし、それをむしろ理想として考える人も少なくないように思いますが、子育てにせよ、趣味にせよ、信仰や物書きといった世界にせよ、プライムタイムの仕事から得られる部分や、両輪として回ることで精神的な充足や安定につながっている面もあり、割り切るより、悩み葛藤しながら生きていく方が、人生は面白いし、人間としての懐の深さも手にできるように思います。
 何となく堂々巡りになってしまいましたが、仕事に対する向き合い方って、人生にとって最大のテーマとも言えるんですよね。仕事は社会的に生きる人間の存在価値の根本にあるもので、リタイアしても現役時代の社会的貢献が精神的支柱になっている面はある。それが過度に表出してしまうと、人から嫌われることになってしまうんですが、そこがないと、薄っぺらい感じになってしまう。
 資産を手に入れて、毎日遊んで暮らすだけでは、精神的にバランスを欠いてしまう、精神的充足を得られる仕事は人それぞれなれど、その選択にあたっては、学びは重要です。
 学びも一人で何とかできるのが習熟度を上げることだけで、最後が学校の要素は大きい。レベルの高い学校は、心理的安全性とか、満足感、誇り、学びの共鳴、さらにはそうした要素をさりげなく身にまとった同窓との付き合いといった、お金では買えない価値を手に入れられるからこそ、そこに入るために人生の一時期、自分のリソースを全投入するわけで、小学生の子どもには、結果をここで出すのは難しくても、そうしたところを学びの過程で少しでも感じ取ってほしいと思います。

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