同じ話を聞く
9月に入りましたが、昨日は波乱の幕開けであり、体勢の立て直しをしつつ、気合も入れ直して、来週以降の厳しい戦線を突破しなければならないという思いで、金曜日を締めくくりました。
心身ともにストレスフルではありましたが、昨日も日中、時間休を取り、毎週恒例となった母のフォローに行ってきました。
母からは、きょうだいとの間のトラブルに関する話を、さんざん聞かされました。この話は、電話をするたびに聞かされており、何か進展があるわけではないことを、新しい情報のように話していますし、その先の憶測とか、勘繰りみたいなものも、1カ月ぐらいは、そんなに変わっていません。
それ以外の話題は、時事的に入れ替わっているので、日々のアップデートはあるようなんですが、それは心根に刺さらない、右から左に流れていく情報であり、心の中を大きく占めているのは、トラブルについてのようです。
ただ、話を聞く限り、とにかく昔のことであり、お互いの正しさを主張しても折り合うことのないし、現実を生きる、母以外の人にとっては最早どうでもいいことなんですよね。
母の心の中では、2年前から、父の死という受け入れられない現実に直面していて、そこには後悔と不満と不安の出発点になっている。この2年間は、その現実を覆い隠すために、不安と不満の根源を別なものに転嫁し、その解決により不安と不満を解消しようとするけれど、それを僕が苦労して解決しても、その先には根源的で、解決困難な問題が横たわっている、それを覆い隠すために、別な問題を持ち込む、その繰り返しなんですよね。
当然、この2年近くのそうした言動への対応に、僕自身、それなりにコストをかけてきましたので、まいい加減にしてほしいと思ったことは何回もありましたが、最近は、同じ話を直接聞くことが、何よりも母にとって心の安定につながることであり、話し相手は替えがきかないということも、わかってきました。
どうしても、今を生きる人間には、人と話をすることにより物事を前進させたり、解決させたりといった、何らかのパフォーマンスを求めがちになりますが、そうした世界に生きていない、世の中で成長したり前進したりできない、あるいはそうした必要がないといった人も相応にいるわけで、そうした人にとっては、信頼できる相手に同じ話をすることで、不安や不満が薄らぐ、心が落ち着くといったことが、何よりも大事であり、その気持ちはなるべくくみ取り、対応し、僕の内面では、そうした時間は「奪われた」と考えるのではなく、その時間も生かされたと全肯定する、そうした解釈ができる強さを身につけるためのご縁と考え、前向きに時間を使いつつ、大事な人に寄り添っていきたいと思います。
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