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本棚は思い出記念館
家にある本棚を眺めると、そこには僕の人生の断片がぎっしりと詰まっているように感じます。
たとえば、『指輪物語』や『銀河英雄伝説』のような本は、僕にとって特別な存在です。
この2つは僕の思春期に大きなインパクトを与えた本であり、かつ、今でも没頭する時間を提供し、時を経て再読するたびに新たな発見をもたらしてくれます。
特に銀英伝などは、ページをめくることは、僕にとっては、これまで繰り返し訪れた観光名所を再び巡る、確認作業のようなもののはずなんですが、次の扉を開けると新たな収穫があるのが、この本のすごさであると感じます。
毎年のように顔を合わせ、お互いに年齢を重ねてきたことを確認するような、古い友人のような存在でもあり、いつまでもそばに置いておきたいと思わせるものです。
一方で、一度読んでそれっきりの本も少なくありません。読後に「もう一度読むかもしれない」と思いつつ、実際には再び開くことはほとんどないのですが、それでも本棚に残している本があります。
中には、初めて読んだときの特別な感情やそのときの環境が重なって記憶に刻まれているものもあります。そのような本を手放すことは、まるで大切な思い出の一部を失うようで、捨てることができないでいます。
また、人から何らかのご縁でいただいた本もあります。正直に言えば、自分の好みとは少し違う本もあります。それでも、贈り主の思いや、その本を手渡してくれたときの会話を思い出すと、捨てることができません。おそらく内容そのものよりも、その本を通じて繋がった人との関係性が大切なのでしょう。
さらに、本棚には実用的な本も並んでいます。たとえば、学生時代に購入したロングマンの英英辞典は、いまだに残っています。正直、日常生活で英英辞典を使うことはほとんどありませんが、子どもとの会話の中で、たまーに取り出して引くことがあります。
衝動買いした西洋絵画の辞典もあります。こちらは母と折半して購入した本であり、母がまだまだ若く、僕もさまざまなことから自由であった時代の、思い出の品でもあります。
鉄道関係の雑誌もまた、僕の本棚を彩る一角です。「永久保存版」と勝手に銘打ったそれらは、特集記事のセレクションによりここまで生き残った数少ない「号」であり、たまに取り出して眺めます。鉄道への興味が続いている限り、これらの雑誌も僕のそばにあり続けるでしょう。
本棚を眺めていると、それぞれの本が単なる紙とインクの集合体ではなく、僕自身の思い出や価値観を映し出していることに気づきます。それは、まるで僕だけの小さな思い出記念館のようです。本の内容や装丁、厚みなどだけでなく、それらと僕との関係性も含めて、この本棚は僕の人生の一部なのだと実感します。