大きな縁と出会うまで
人生の配分、お金の配分、自己資源の配分は非常に難しいと思います。人生の配分は、進学、就職、転職、昇進、結婚、出産、子育て、介護、住まい選び、子供の進学といった、自分と自分を取り巻く人々のライフイベントをいつどのように実現するかであり、自分の努力で何とかなる部分もあれば、縁次第で思ったとおりいかないこともあり、お金や自己資源の配分も絡み、結果的には、その都度、軌道修正をしつつ、限られた選択肢の中から最善を選び、より自分の志向する方向に進めるように努力するしかないと思います。
それでも人生の前半は、ある程度、取り返しがきいたりして 軌道修正もできるのですが、先に行くほど所与の条件が増えてきて、その中での最大化を図ることになります。最後までわからないのは自分の命であり、余命がわかる病にかかり、自らカウントダウンをするのも、この世への未練で気持ちが乱れ、また病の痛みに苦しむのでつらいですが、一方で突然終わりを迎えるのも、やり残したことが多い状態でぶち切られてしまうので、それがわかっているならお金を使い切り、やりたいことをやっておけばよかったと思うに違いありません。
体が動き、頭が働くならば、今日一日は効率よく全力で自分の未来を楽しくする種まきをしたいですし、できれば組織の要請とか社会の求めるスキルではなく、オリジナルな強みを磨く時間を増やしたい。平日を土日の岸の間にあるプールのように考えて、とにかく向こうまで泳ぎ着かなければと思い続けて毎週を過ごすのは、もったいないので、平日もオリジナルなところに誰も到達しない深い穴をほっていく。できればより多くのライフイベントを強みに結びつけることができれば、わかりやすくなるのですが、現実はそうなってはおらず、何かを立てれば何かを捨てる、何かをやり終えた後に、人生を楽しくするタスクを持っていないこともままあります。自分探しはいい加減やめたいのですが、ところを得た感触がないのでやめられない、でも投げ出すわけにはいかない。
あきらめきれんとあきらめる、まだそこから抜けられていないことを自覚し、自分最強の物語を創ることを目標に掲げ、今日も役割を果たしつつ、物語を紡いでいきたいと思います。自分がところを得る体験は、自ら岩山をよじ登った果てにあるのではなく、大きなものにすくい上げられる結果であり、それは若き日に教えられた、大きな縁と出会うことに近いのかなと思うようになっています。