素敵な車内アナウンスに思う
時々、電車やバスの、終着駅や終点のアナウンスで、これは、と思うようなアナウンスに出会うことがあります。
ふだんであれば、バスも電車でも終点の案内をして終わりなのですが、先日の電車では、車掌さんによる、次の終着駅の案内とともに「連日、暑い日が続いており、今日も大変な暑さが予想されます。みなさま、熱中症にならないよう、こまめな水分補給を心掛けて、1日をお過ごしてください。では、行ってらっしゃいませ。」という言葉が添えられていました。
バスでも、こうした案内をする運転手に、時々めぐり合わせることがあります。当然ながらマニュアルにはないことだと思いますので、気持ちよく送り出すための、その人なりの工夫なのだと思います。
現実、こうしたお客様サービスの最前線に立つ人々は、たとえば電車であれば、人身事故その他のトラブルによる遅延により、怒りの向けどころのない乗客から心無い言葉を浴びせられることの方が多いと思われ、バスの運転手についても、定時の運行サービスと、多様な乗客への対応の兼ね合いで、何かとしんどい思いをすることが多いのではと思います。
自分が悪いわけでもないことに対し、心無い言動を浴びせられ続けると、僕などは心がやさぐれてきて、人に対する気遣いなど、知ったことかという思いになってしまい、今の自分の立ち位置を呪い、否定し、新たな場所で自分を生かすことを願うことに心を逃がしてしまいます。
なればこそ、日々、同じような業務を続けている中、見返りがあるとは言えない気遣いを続けることは、簡単ではないと思います。
でも、言葉の力というものは不思議なもので、こうした素敵な言動により、人の心に良き風を送りこめば、おそらく、そのうちの幾人かには響き、同じように、他人をいたわり思いやる心を持とうと思い、言動に気を遣うことになり、それがさらに、広がっていく。
その広がり、決して大きなものではありませんが、そうした小さな言霊の連鎖の一つが、大きな力になり、あるいは小さな力が作用点を動かし、岩が動く、一過性であっても、多くの人の心を救い、慰め、癒すことにつながり、社会運動にもなっていくかもしれません。
いずれにせよ、自分が恵まれていないから、虐げられているから、他人からは良くしてもらっていないからと、自分ができる善き行いをやめてしまえば、自分に善き結果がもたらされることはありません。
理不尽な思いをさせられ、虐げられ、そして不遇な期間が長くなると、本当に善き結果など返ってくるのだろうかと、疑心暗鬼にもなりますが、自分の行動によってしか、未来に果実を得ることはできないわけで、ここは自戒をこめて、日々、人に対する思いやり、言動、善き種まきといったことは、自分の欲得を満たすことを後において、実践することを組み込んでいきたいと思います。