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大学の同窓会について思う

 僕の会社には、出身大学の同窓会というものがあります。年に一度開催されるのですが、僕自身は入社してから、若いころに2回しか参加したことがなく、ここ20年は出たことがありません。

 同窓会には入社年次ごとに幹事がいますが、僕はメールを送って連絡をしても全く反応がないため、そうした幹事役になったことがなく、幽霊会員扱いになっているのだと思います。

 以前は人事が同窓会のために出身大学の情報を提供していたようですが、ある時期を境に、個人情報を外部に提供することは良くないとされ、その慣習がなくなったようです。同窓会の事務局は出身者の情報を得られなくなり、名簿を作ること自体が非常に難しい状況になったとのことで、僕はそういう状況になっていたことを、まったく知りませんでした。

 しかし、考えてみれば、子どもの通う学校でも昔のような連絡網は存在せず、卒業アルバムには住所や連絡先が掲載されることもなくなり、卒業後に誰かと連絡を取り合うための仕組みが薄れてきていることに気づきます。
 
 たしかに、今の時代、つながる人はメールやSNSでつながっており、個人情報が特定されない、お互いに匿名あるいは半匿名のかたちで、人とのコミュニケーションを深めることも可能になっています。
 コミュニケーションの相手のことを、すべて知らなければ生きられないわけではありませんし、そもそも個人情報が見える状態に抵抗を感じる人が増えていることも納得できます。

 会社内で同窓会という繋がりを持ち、出身大学の情報を利用することが自然だった時代から、個人情報の扱いに敏感な現代へと移り変わる中で、時代の流れに合わせた新たなスタンスが求められているのでしょう。

 今はとにかく、個人情報の流出拡散が容易になっており、どこでそれが個人攻撃に利用されるかわからないですからね。

 僕の場合は通称使用で社会的に生活しているので、その点、社会的な通称が拡散されても、そこから個人情報を深掘りされる可能性は低く、夫婦別姓は賛成ですが、通称使用も慣れれば悪くはないと考えています。

 こうした状況を前提に考えると、むしろこの変化を受け入れ、同窓会の在り方をアップデートすることで、いろんな意味で、そこに「商機」を見出す可能性があるような気もします。

 個人情報に配慮した仕組みを構築しながら、よりソフトなネットワークのかたちを模索し、人と人の共通項における、つながり方はもっと柔軟なものにすると、同窓会のような組織も、もう少し求心力が高まるかもしれません。

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