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親父がくれた3万円

親父が3万円をくれた。

「んじ、はい。」

無愛想に顎をしゃくりながら、綺麗な3万円をくれた。

ありがとう

と一言だけ残して、僕はその場を立ち去った。
18年間育った実家を後にしたのはその20分後のことだった。

昔は親父が嫌いだった。
厳密に言えば4年前まで嫌いだった。

成人式の時に親父の過去を聞いた。
お笑い芸人や新聞記者になりたくて夢を持って東京に出た親父は、自分の父親の大きな借金を自分が返すと、地元に帰った。
修行を那覇でして、汗水垂らして仕事を覚えて、3年で島で起業した。当時は21歳だったらしい。
それから親父は大きな借金と周りからの「もったいない」という同情に耐える日々だった。無論、親父本人も「結婚は無理だな、誰の人生生きているのだろう」と、半ば諦めかけていたらしい。

それでも、子供が欲しかった。そう酒を飲みながら赤らむ頬を恥じらいもせず、子供のような笑顔で、子供が欲しいと笑っていた。

その時にハッと気づいたのは、僕はこの人の子供で、この人がどうしても欲しかった子供なんだ、と。泣いてはいなかったが、ちょっとだけ胸が痛み、とても嬉しかった。

そんな親父が今年で還暦になる。

母親は一足先に還暦になり、親父は1年遅れでその後を追う。どうしてもお前には歳だけ追いつけんよと無愛想な言い方しかできない父を、母は鼻で笑いながら避ける。

そんな日常もいつまで見れるのだろうか。

2年ぶりに帰省した島はいろんなものが変わり、いろんなことが起き、いろんな人がいた。

その中で変わらなかったことは、親父の屈託のない子たちへの愛と、その無愛想な物言いだけだったように思う。

そんな父は後5年で現役を降り、悠々自適に暮らしていきたいと夢を語った。そんな寂しい生活するなよ、5年後には孫抱かせられるように頑張るさと咄嗟に口から出た時には、嬉しそうに笑いながら「ふんっ」と鼻で笑っていた。いつもの無愛想な親父はそこにはいなかった。

僕は無愛想な親父が好きだ。昔は大嫌いだった親父の無愛想な態度も、今となっては愛おしく、いつまでも元気でいてほしい。せめて孫を抱きながら、またあの子供のような笑顔で、大げさにそして大胆に酒を呑む余生を過ごしてほしい。

そんな親父がくれた3万円は、いつもよりなぜか、綺麗に見えた。

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