心も懐も潤す音楽
旅のお供に楽器を持っていくのが、自分にとって習わしのようなものだった。味気ない1人旅にうるおいをもたらしてくれるだけでなく、懐がうるおうこともあるからだ。
例えばニュージーランドにはウクレレを持っていった。
1日1時間ほど、町で1番賑わっていた通りのスタバの前で演奏して、多いときで50ドルくらいになったのだった。
これは生活費の足しに多いに貢献した。
いや、それだけではない。
1人旅に心が荒んでいた自分を癒してもくれた。落ち込んでいるとき、何も考えずに楽器を演奏していると、いつの間にか心が晴れてくる瞬間があるものだ。
言葉に不自由な異国ではなおさらだった。音楽は言葉の不自由を克服することを知った。なりよりいざとなれば、楽器1つあれば1人くらいなんとか生活していけるという自信は、異国で自分の自尊心を保つのに多いに貢献した。
路上ではいろいろな出会いがあるのもよかったかもしれない。ヤンキーにからまれたり、小さな子供と仲良くなったり、ノリノリで近くで踊ってくれた人がいたり、異国の空気を肌で感じるには最高だった。ただ農場やカフェやレストランで働いているだけでは得ることの出来ない、日常生活に潤いのようなものをもたらしてくれた。
実は自分のひいおじいさんや、おじいさんも、同じことをしていたことを最近知った。楽器の演奏を副業でやっていたのだった。これはちょっとおどろきだった。
母方の親族のほとんどが、雅楽をやっているのを知っていたけど、趣味や伝統でやっているのだと思っていた。
去年からそのメンバーに入ってはじめて、それが副業だったことを知った。
お寺の法要や、村の婚礼などに呼ばれていき、演奏してご祝儀をもらっていたようだ。おじいさんは農家だったので、生活費の足しにしていたのだろう。でもお金のためだけにやっていたのではないのだろう。楽器を演奏するものなら、誰でも分かることだ。
おじいさんは終戦を八丈島で迎えたと言っていた。アメリカの本土上陸の最前線になる予定だったところだ。
そこで戦友が、掃除用のホウキの竹の柄を切って、尺八を作って演奏していたそうだ。その音色に惚れて(きっときれいな海やハイビスカスを見ながら吹いていたのだと思う)。
戦後に帰村し、尺八を練習し、生涯吹き続けた。もともとひいおじいさんが雅楽をやっていたので、おじいさんもスッと尺八をマスターできたのだろう。
そして息子は(僕のおじさん)は尺八の先生になって生徒をとるようになった。おじいさんは僕にも、練習用の尺八を水道管のパイプを使って作ってくれた。残念ながら尺八は難しくて吹けていない。
雅楽も戦後、息子たちに教えて、一家で呼ばれては演奏していた(母は嫌いだったようで演奏はできない)。
一家で演奏して、1回の演奏で10数万円もらっていたというから、立派な副業だったと思う。1人3万×人数が相場だったというから、僕のおじさんは5人いたので、おじいさんを入れれば6人。それを年に何回かすればいい稼ぎになったのだろう。そして何より、日常生活に音楽が根ざした暮らしをしていたというのが、孫として誇らしい。
残念ながら今は無給のボランティアだが、そのメンバーに入ってみてはじめて、おじさん達に別の顔があるのを知った。真剣に楽器を演奏するおじさん達は別人みたいで、かっこよかった。
お寺の法要では、お坊さんが入場してくる時と、退場する時の2回、計2曲演奏する。今では録音をステレオで流すだけの所が多いけど、これが生演奏だと全然違う。生演奏はやっぱり色気がある。地元の人がお参りにくるのだが、生演奏の方がずっと風流で、神聖な気持ちや、信仰心をかきたてられると思う(自分には全く信仰心はないが、、、)。信仰心と色気というのは表裏一体なのだと思っている。
今年もまた法要の季節が近づいているので、そろそろ練習がはじまる。練習は夜にお寺でやるのだが、あの風情も好きだ。今までいろんなメンバーと音楽をやってきたけど、親族でセッションするのは、なかなか他では味わえない、特別な魅力がある。
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