太宰治とその弟子
没後70年以上経つにも関わらず、今も若者の心を捉え続ける太宰治は、日本文学史上でも稀な存在だと思う。紙幣の肖像になど、これから先も永遠にならないであろう、この作家が若者の心を捉え続けるのは、単に反エスタブリッシュメントなところだけではないのだろう。彼の弟子、小山清は
「太宰ほど、青年の品位を守り通したものはいない」
と言った。この言葉が全て物語っていると思う。社会にうまく適合できない若者の苦悩に、彼の作品はこれからも寄り添っていくのだろう。
彼の弟子の一人小山清もいい作品を残している。特に太宰は苦手だという人にお勧めしたい。「朴歯の下駄」や「よきサマリア人」などは秀逸だ。作品全体に町っ子の匂いがするものいい。
彼は太宰とは性格がまるっきり違うし、作風も太宰とは大きく異なっている。
例えば太宰が亡くなる直前の手紙のやりとりだ。
小山は北海道の夕張の炭鉱で働いていたのだが、病気になり、さらに麻雀で負けこんで金に困り太宰に金の無心をしているのだが、喉が切れて痰に血が混ざっていただけなのに、吐血した、と大げさに書いて送っている。なんとか金を工面して欲しかったのだ。それに太宰は、「大丈夫か?」と本気で心配している。太宰はとにかく優しい。疑うことを知らない。
一方で太宰は小山に、自分は半死半生の状態だと書いて送っている。実際玉川に入水自殺する直前のことである。小山はそれを真に受けず、いつもの大げさな太宰の表現だと受け取り返事も返していない。実際よくよく考えればこれまで太宰が手紙でそんな弱音を吐いたことなどなかったのに、小山は気がつかない。
そして後で後悔するのだ。自分はなんて悠長な弟子だったのかと。太宰とは正反対ともいえる性格だ。
そんな小山に「それでいいんだ。弟子は師匠からとれるものはなんでもとったらいい」というような事を言ったのが、太宰の師、井伏鱒二だった。さすがだなあと思う。
井伏鱒二は小山の作品を評して
「作者は野暮な古い襟詰め服を着ているのに、作品は洒落て粋なのだから、なんとも畏れ入る。花に例えると牡丹の花」
と評している。
小山清の作品はこれからも、それほど評価されることはないと思う。そこが彼の作品の妙味だからだ。彼は万人に認められるより、太宰に認められることが何より嬉しかったと語っている。太宰に自分の事を幾らかでも理解してもらうことが、喜びだったというから、太宰はそれだけ魅力があったのだろう。太宰と飲む酒は格別だった、と井伏も小山も語っている。作品から感じられる太宰もさることながら、実際の太宰はそれ以上に魅力があったんだろうと思う。