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【15】 はるかかなたの教育委員さん

教育委員のみなさんの声自体は、ありがたかった。否定否定ばかりの教育部の皆さんの対応と比べると、よっぽど人間味のある、血の通った言葉に思えた。若干一人、教育部寄りなんだなと思ったが、それでも全体として、まだ信じられる人たちだという気がした。・・・だとしたら教育委員さんたちは、必要な情報を与えられてないんじゃないかな。それが私の印象だった。

まるでお雛様みたいに雛壇の上に置かれて、教育部がもってくる情報だけを頼りに、決定を行う。でも、本当はすんごい責任がもたされていて、この人たちの一声で、教育行政はガラッと変わるのだ。場所だって、工法だって、全部変えてしまう力をもつのがこの人たちなのだ。

だったらば、なんでもっと自分から情報を取りに行かないんだろう。住民説明会だって、地点9の住民にだって、もっともっと自分から会いに行ったっていいじゃないか。当たり前の生活を守ろうと、これだけ市民が必死になって声を上げているなかで。教育行政において、公平、中立な議決をするのが、教育委員さんの役割なんでしょう? 教育部の情報だけ得て、議決をするのは、かなり偏ったことになりませんか? 

私は彼らに、言いたかった。とてもとても伝えたかった。でも、教育委員さんたちと私たち市民の間には、教育部というものすごい壁が立ちはだかっていて、私たちは近寄らせてもらえない。少なくとも、そんな気持ちだった。

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6月18日、30日の住民説明会についても、流域住民14人から要望書が出ていた。


それへの返事もこのころあった。

全部却下。全部却下かよ。すげーな。

私たちはやっぱり、教育委員さんから遠ざけられていた。市民の声を反映させるために、市民から選ばれる教育委員さんのはずなのに。市民による、市民のための行政のはずなのに。それをさせない仕組みが働いていた。それはどっか、なんか、めちゃくちゃ寂しかった。


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