【3】 怒号の住民集会
一日千秋とはこのことをいう、だろう。
市が約束してくれた住民説明会を、私たちは待ちわびた。「もう開かれるかな」「もうそろそろだろ」、会うたびそんな話題になった。それでもどんどん日が経っていったとき、盛土業者との入札がR5年11月17日だという情報が入ってきて、戦慄が走るのである。
・・・えっ、まさか。再度の住民説明会をする前に、盛土業者との入札をしてしまうつもり? これはさすがにやばくない?
さらに問題なのが、このとき流域住民のほとんどが、この現状を知ってもいなかった。それで私たちは、有志でお金を出し合って、チラシをつくり、周辺地域に配布し始めたのだった。それがこれ。
私がこれを配りながら知りたかったのは、この川沿いに住む人たちがどんなふうに感じるかということだった。私もいちおう当事者とはいえ、彼らほど影響が出る場所じゃない。それで川沿いに関しては、できるだけ一軒一軒訪問した。この計画を知ってどう思うか、市にどうしてほしいと思っているのか。その結果、わかったのはこれだった。
「ここに学校をつくることに反対だ、別の場所でやってくれ」
そう思ってる住民には、はっきり言うと、出会えなかった。多少のグラデーションはあるが、ほとんどみんな、「せっかく自然の美しいこの場所を、開発されるのは嫌だけど、学校をつくらなきゃいけないとしたら、子どもたちのためなら我慢はしようと思う。でもそのために自分の家が浸水するようになるのは、さすがに困る」、そのような感じだった。
私はなんとなく心打たれた。目の前に広がる川と田畑、その景色や空気にひかれて、この土地に家を建てた人もいた。毎日の犬との散歩が生きがいの人もいた。環境を守る活動を続けて、この田畑に希少生物を発見して学会に持っていったことのある人もいた。でもそういう人たちもみんな、「確かに残念だけど、ここに学校が建つこと自体に異論はない」という。公共の精神をもっている人たちばかりだった。署名についても「〜に反対!というより、前向きな署名ができないかな」という要望もあった。実にまっとうな人たちなのである。
ちょうどそのころ、調べ魔の佐伯議員から、私たちはこんな話を聞く。
「佐賀県嬉野市にも、川と川に挟まれた浸水想定区域に学校をつくった塩田中学がある。そこは、高床という工法で学校をつくり、中庭と校庭を少し下げることで、周囲の浸水深を下げることに成功したらしい」。さっそく佐伯議員は嬉野市に飛んで、取材してきた。
この学校ならば、川沿いの人たちの意向に沿うものになる。署名も「〜反対!」ではなくて、「高床をお願いします」にできる。それで、第一弾チラシから1週間も経たないうちに、私たちが出したのがこのチラシだった。
私たちがこういう動きを進めている中、市に盛土入札を止める気配は一切なかった。さらにFacebookで反対を表明した私の投稿に、原﨑市長がコメントしてくるという珍事も発生する。そのやりとりについては、以下のコメント欄からご覧いただけるが、そのなかで市長ははっきり言ったのだった。「入札は止めないで行います」
さらに私のメッセンジャーにも、こんなメッセージがくる。
ショックだった。まるで何もわかってないのである。もともと頭がいいとは思ってなかったが、まさかここまでバカだとは。学校を建てるかどうかは別として、まずもってこの一帯の治水対策をし、無尽蔵に家を建てさせないようにするのが市の仕事だとわかってない。何か対策めいたことも書いているが(結局しないのだが)、じゃあそれで本当に安全かどうかさえ確かめずに、盛土を進めていいと思ってるんだろうか。こんな人が、福津市の権力を握ってしまっている。そのことがこんな恐ろしい結果を引き起こすことになるということを、私はまじまじと実感していた。
彼がここまで言うんだから、入札はもう行われるだろう。でも、そのあと、盛土業者との本契約がある。この本契約を止めよう、ということで私たちは一致した。それで11月17日、盛土業者の入札が終わったあとの18、19日に、市民主催の住民集会を開くことにしたのだった。ここには市長も、議員たちにもきてもらった。ざっくりいうとまぁ、怒号が飛び交う集会になったし、賛成した議員たちも吊し上げみたいな感じになった。そのときの私の日記がこれ。
市長も議員も、このとき初めてことの重大さに気づいた感じだった。これで盛土を進める気だとしたらどうかしている、それくらいの衝撃はあったと思っている。
そうして、今度は請願の流れになる。