【9】 あきらめられない、ものがあるでしょ
R6年5月25日、私はふつうに仕事していた。庭師の仕事で、確か久留米に行っていたと思う。その日は、私のゲストハウスがある地区のための説明会ではなかったから、私は参加できないことはわかっていた。けれど、どうにも気になってしょうがなかった。仕事帰り、会場の宮司コミセンに立ち寄るとドアが全開になっていて、そこから会場の声は筒抜けだった。ゲストハウスのオーナー、松尾さんも会場前で中の様子を聞いていたから、ゲストハウス組が二人そろった形になった。
中には40名くらいの人たちがいた。知らない人たちがいっぱいだった。ある女性が長々と声を上げるが、吉崎教育総務課長が冷徹に、そして淡々とその方の声をはねのけていた。
「地点9の住人ですが」と、ある青年の声があがった。よく見ると、地点9で一軒一軒訪問したとき、初めて私の話をじっくり聞いてくれたあの青年だった。私は思わず、録音を始めた。
ひどい。あまりにもひどいこのやりとりに、録音機をもつ自分の手がふるえた。この青年が、どれだけの思いを抱えてこの場にきたのか。「補償は難しい、逃げてとしか言えない」と言った吉崎教育総務課長に、私は言いたかった。彼がどれだけの思いをしながら働いて、お金をためて、子どものころからの夢だったヴィンテージ車を買い、大切にしているか。そんなことあなたはまったく知らないんでしょうけれど、でもね、そういった一人一人の生活とか夢とか、ささやかな楽しみとかあるんですよ、60世帯、200人くらいの人たちに。そんなことへの想像力とか、同情とか、そういうのって、市政運営になくていいんですか。そんなに冷たい言葉で、簡単に遠ざけていいものなんですか。
会場にはほかにも、私が流域を一戸一戸訪問したときに出会った、おじさまもいらしていた。川が交叉する、最も危ない地点のひとつ。強めの雨が降るたび、ここの奥様は、移動手段である車だけは浸からないようにと、車を宮地嶽神社のほうに移動させていると聞いていた。学校がなくても、この川は流域住民から、それだけ脅威に思われているのだ。国の元役人だったというおじさまは、おだやかに、でも力強く語りかけた。
腹立たしかった。学識経験者にも検討してもらってないのに、たった数センチの軽減策に納得しろって、どうして言えるの? 1000年に一度のことだからって、まだ言い続けるの? 地域のことは、地域の人たちがいちばんわかってるんだよ、その人たちが怖いよ、心配だからいったん考え直してよって言ってるんだよ?
後ろのほうでは、議員が8名ほどいた。来るだけましとは思いつつも、私は溜飲を下げられなかった。この住民の人たちに、この説明会を開くこともなく、盛土することに賛成したあなたたちは、この人たちを直視できるの? 直視できるとしたらどんな気持ちなの? 盛土が決定した後に、どんな住民説明会を開いても、それは住民との「合意」を得られるような話し合いにはならないじゃないじゃない。それをわかってて、あなたたちは賛成したの? どの面下げて? 見ていられなくなって、私は帰った。
この二人のご自宅はわかっていたので、訪ねていって、録音データを使うことの了承をもらった。玄関先で話した彼らは、傷ついていた。意気消沈していた。でも、あきらめるわけにはいかない人たちだった。大切にしてきた家とか車とか家族とか、あきらめるわけにはいかないものが、一人一人にあった。だから私も、動画づくりに邁進する日々が始まった。