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【2】 ことの始まり

皆さんも知っての通り、今回の福津市の盛土問題は、「周辺地域の浸水を悪化させることがわかっているにもかかわらず、行政が、住民の反対を押し切って、盛土して小学校を建てようとしている」という異常な事態である。そんなこと昨今、民間企業にも許されない話であり、公共の益を追求する地方自治体がやるなんて、まずもってあり得ない話なのである。

私がこの問題を知ったのは、私の親友とも言える佐伯美保議員を通してだった。佐伯さんは、ここ福津市で35年にわたり、子どもの育ちや環境教育に関連する20近い事業を立ち上げてきた。「行政に頼らずともやってやる」精神でやってきた彼女が、「やっぱり行政も変えようと思うから、選挙に出る!」と言い出したのは、選挙の1ヶ月半前。

親友の佐伯美保議員

そこから1週間、私たちはほぼ泊まり込み状態で、チラシ、ポスターをつくり、なんとか間に合わせることができた(私が元新聞記者、雑誌記者・編集者で、デザインもできるのでお手伝いしたのだ)。選挙運動期間が1ヶ月というと、普通ならほぼ無理だが、彼女は35年、地域活動の中心にいたので、彼女が選挙に出ることが、彼女を知る人たちに届けば、なんとか勝算はある、と私たちは見た。それで実際に当選したのだった!

さて、そんな佐伯議員が、「今の学校予定地、やばいかもしれない」と言い出したのは9ヶ月くらい前だった。これは反省点なんだけど、それまで私も佐伯議員も、今の学校予定地というのは、「あんまりよくないとは思うけど、そこまで進んでるのならしょうがないよね」というスタンスだった。ところが、佐伯議員が言い出したのである。

「あの学校ね、県の指定する洪水浸水想定区域だから、盛土すると、周囲が浸水するようになる可能性があるのよ」

・・・マジか。実を言うと私は今、ゲストハウスの運営で生計を立てている。そのゲストハウスの場所が、学校が立つ場所と同じ地区だった。私は意外にも当事者だった。川から多少離れてはいるものの、それでも浸水想定区域に入ってしまう可能性はある。私は青ざめた。

私がR6年4月末まで運営していたゲストハウス

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ちょうどそのころのR5年10月21日、市は初めての住民説明会を開催した。私は用事で行けなかったんだけど、その日の様子を聞いて、さらに青ざめた。住民のうち一人は県の土木課OBで、その人が、手書きの図を見せて説明したんだという。「盛土して学校をつくれば、こういうメカニズムで、私たちの家が浸水するようになる可能性があるんだ」と。それがこれだった。

県の土木課OBが描いた図

オレンジで塗られた部分が、学校予定地、さらに左側の黄色い場所が、最近盛土して建てられた住宅地だ。川があふれたとき、これまでなら水は空色で塗られた場所に溢れ出す恐れがあった。しかし、黄色部分に加え、オレンジ部分が盛土されたら? 水は大きくはみ出して、今まで浸水しなかった赤色部分に溢れ出さないか。それが、彼の論点だった。

これに対する教育部の説明が、終始一貫、「ここは洪水浸水想定区域とはいえ、1000年に一度の雨の場合の話ですから」というものだった。さらに、「溢水するとしたらおたくのような川上じゃなく、川下のはずだ」ということも県OBに言ったらしいから、明らかに失言である。「その”川下”に住んでいる者ですが」と切り出し、苦情を言った人もいたという。「今の説明では到底納得できない。私たちに納得のいく説明を準備して、再度の住民説明会をしてほしい」。市は、再度の住民説明会を約束して、初の住民説明会は終わった。

実をいうと、この住民説明会自体も、この事態の大きさに気づいた市民が何度も県に訴えて、県から市に注意があり、ようやく開かれたものだったというから心許ない。ふつう学校新設するとき自治体は、数年かけて地域を交えた話し合いを行うものだというのに・・・。もしこの県OBが川沿いに住んでいなかったら、今ごろどうなっていただろうと思うと空恐ろしくなる。

今も着々と、進められてしまっている学校建設だけど、神様が思わぬところで味方してくれている気がしてならない瞬間がいっぱいある。それはみなさんが今、読んでくれていることも含め、だ。

さあ、こうして住民は期待し続けたのだった。次の住民説明会を・・・

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