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小論文における意見の書き方と示し方~小論文の定義③~

更新日:2024/11/10

 小論文・作文指導者の〆野が普段の添削・採点指導で教えている、文章作成における基本事項を紹介するのが、このシリーズ【文章作成の基本】。

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(〆野の自己紹介はこちらから見られます。)

 今回は、自分の意見のどのように書くか、どのように提示するか、というお話しをしていきます。「あれ?その話し、もう他の記事で書いたよね?」と思う方は、大変熱心な読者様とお見受け致します。いつも私の記事を読んでいただき、ありがとうございます。

 たしかに、別の記事「『問いを立てる』ことから小論文作成は始まる!~小論文の定義②~」で、そのテーマとなっている物事や事象に対して問いを立てることが、その問いに対する回答(自分の意見)を導出する上で必要だというお話しをしました。しかし、これは、いわば「意見の導き出し方」、つまり「何に対して意見を述べるか」ということです。今回はちょっと違っていて、その自分の意見をどのように立てるか、どのように書くかというお話しです。


「自己」と「他者」を明確に分ける。

課題文の「筆者の主張」を「自分の意見」のように書いてしまう中高生

 これは、ある程度児童や生徒に作文や小論文を教えた方なら思い当たることだと思いますが、課題文に書かれている「筆者の主張(意見)」を自分の意見のように書いてしまっている答案って実は結構多いです。大人の方なら「何でそうなるの?」って思いますよね。私もこの仕事を始めたときはそう思いました。「私は……と思う。」と答案内では言っていますが、「いやいやいや……それ課題文に書かれている意見まんまじゃん!『私』が思ったことじゃないよね!」って心の中でつっこんでいました。「何でそうなるの?」と。

 中学生はものすごく多いです。正直、課題に対しての自分の意見をしっかり示している文章が書けるだけで、内容の優劣を問わず、これは「結構できる中学生」の部類です。ほとんどの生徒が、平然とその課題文の意見をほぼそのままトレースして「……と考える。」と書いてきます。高校生になると、「課題文の意見や考えをそのままコピーする」というような露骨な答案はなくなりますが、それでも、「私は課題文中の筆者の意見に賛成である。」と言ってから、なぜその意見に賛成なのかといった論拠(『理由』や『具体例』)として、課題文中で示されている論拠をすまし顔でそのまま持って(借りて?)きたりします。「課題文の筆者の意見に賛成」なのは「自分の意見」としてよいですが、その意見に対する理由や例まで課題文と同じだとすると、その小論文はもはや「その書いている生徒の小論文(意見・論)」ではありません。それは、事実上「その課題文の筆者の意見(論)」となってしまいます。このように、多くの中高生がほぼ無自覚的に、課題文の「筆者の主張」を自分の意見のように書いてしまっているのです。

 しかし、ある程度教える経験を重ねる中で、「実は子どもたちにとって『自分の意見をしっかり示す』ことは、大人が思っている以上に難しいことなのではないか?」と考えるようになりました。そもそも年齢的に、まだ自己と他者の境目が曖昧なのではないか、つまり自我を十分に持てていないのではないか、と考えました。

 ある認知科学の本の中に、「お母さんが笑っているのを見て赤ちゃんが笑う理由」について書いてありました。それによると、何でも、赤ちゃんは目の前のお母さんが自分だと思っているのだそうです。つまり、お母さんが笑う(あるいは笑かしたりする)と自分が笑っているのだと思い、赤ちゃんは笑うというのです。別の言い方をすれば、これは、まだ自我が芽生えていないため、目の前にあって見えるものを自分だと思っているとも言えます。すなわち自己(赤ちゃん自身)と他者(お母さん)との区別がついていないのです。また、ある園児が他の子の持っているおもちゃを取ってしまい喧嘩になる、なんてことがよく保育園や幼稚園でありますが、これも「自分のものと人のものの区別ができていない」からと言えます。それに比べて、小学生や中高生はもちろん「自分」をしっかり持っていますが、しかし、こうしたケースを踏まえると子どもが大人に成長するとは、「自我が芽生えていく」プロセスと言えそうです。そして、そう考えると、赤ちゃんよりかははるかに自我は持てているものの、大人への階段を昇っている最中である中高生にとって「自分の意見を持つ」ことは、「自我の確立した」大人よりも難しいことなのかもしれません。

 今まで素直だった子どもが親に反発するようになる、いわゆる「反抗期」は「思春期における自我の芽生え」として肯定的にとらえられますが、一方発達途上の大変不安定な「疾風怒濤(Sturm und Drang)」の時代であり、いままさに生徒たちはそうした「自己獲得」の渦中にあるのだ、と最近は考えるようになりました。そう考えると、課題文の意見を自分の意見と混同して書くことが高校生よりも中学生に顕著に現れていることも、うなづける話です。

「課題文の内容(他者の意見)」と「自分の意見」とをしっかり分ける。

 こうした児童心理学的な話はこの辺にしておいて、では、小論文を作成する上で、どのようにして「自分の意見」を提示していくか、ということですが、まずは「課題文の意見や考え」と「自分の意見や考え」をしっかりと切り分けて考えることを訓練する必要があると言えるでしょう。課題文(他者の意見)から得た「事実や情報」と自分が考えた「仮説や推論(『こうではないか』、『こう思う』という自分の意見)」を書き分けるようにすれば、何が自分の意見で何が自分の意見でないかについて、より自覚的になって小論文作成に当たれると思います。

 たとえば、課題文の内容を引いてくることが小論文の内容上必要ならば、「課題文によると」や「課題文で示されている通り」と述べてその引用元や出典を明確にしてから、その内容を引いてくるべきです。課題文を読んで知ったことは「課題文発」の情報であることを明言してください。その上で「課題文ではこうある、それに対して私はこう考える」と、対する自分の考えや意見はそれが「自分発のもの」であることをしっかり示すようにしましょう。

 なお、前述で「自分の賛成意見の論拠として、課題文に示されている理由や具体例をそのまま借りてくる」ということを「自分と他人の意見を混同している例」として挙げましたが、これは「論文作法」としても全くあり得ません。進学先の大学でそのようにしてレポートや論文を書いたら、それははっきり言って「明らかな論文盗用(人の論文内容を盗んだ)」なので、担当教官から厳しく注意を受けるでしょう(怒られるくらいで済むならまだいいですが、これをもし大学教員レベルでやったら一発で失職します)。「『小』論文」とはいえ、これも「論文」です。その情報内容の出所や出典を明確に示すのは基本的な論文作法なので、こうしたことはいまのうち(受験生のうち)から知っておくべきです。

「課題文に賛成している」からと言って「小論文が全て課題文と同じ内容になる」わけがない訳

 前述の「自分の賛成意見の論拠として、課題文に示されている理由や具体例をそのまま借りてくる」というお話しについては、「論文作法の面」以外にも、誤解している高校生が多いようなので、改めてここでトピックとして挙げて掘り下げておきたいと思います。それは、「『課題文に賛成している』からと言って『全て課題文と同じ内容になる』わけがない」ということです。

 前述の「論文作法として、出典を明らかにしないのはマナー違反」ということは知らなかったらできていなくても仕方がありません。それについてはこれを機会に学習して今後実践してくれればよいです。しかし、ここでの問題は、「課題文に賛成する意見や立場のときに課題文と同じ理由や例を持ち出す人は、賛成する『同じ意見や立場』だからそうなるのが当然だと思っている」節があることであり、だとしたらそれは大いなる誤解である、ということです。

 たとえば、あなたが学級会に参加したとします。隣のAさんが文化祭のこのクラスの出し物という議題について「演劇はどうか」と述べたとします。そのときあなたは、それを聞いて「私もそう思う」と考えたため、「私もAさんの意見に賛成します」と述べました。あなたはAさんと同じ意見・立場です。では、あなたの考えていることの全てはAさんの考えていることの全てと全く同じでしょうか。

 答えは単純です。同じ意見だからといって考えていることが全て同じなわけはありません。その理由も単純です。それはあなたはAさん自身ではなく、Aさんもまたあなた自身ではないからです。あなた(自己)とAさん(他者)とは、それぞれが全く違う人格を持っているはずです。たしかに「演劇をやりたい」という意見では合致しています。しかし、なぜAさんがそう思ったのか(理由)はAさんの中に別にあり、それがあなたが「演劇がいい」と思った理由と完全に合致する可能性は極めて少ないと言えます。なぜならお互い人格の異なる二者だからです。AさんはAさんの中で考えて「演劇がいい」となった、あなたはあなたで考えて「演劇がいい」となった、しかしAさんが先に発言した、だからあなたはAさんに賛成した、というのが経緯です。このとき、Aさんとあなたが考えていることの全てが徹頭徹尾同じであるということは、Aさんとあなたが一つの人格を持った同一の人物である以外にありえませんし、それ自体現実的にありえないことです。

 これを踏まえると、「課題文の意見に賛成する同じ意見や立場だからといって、課題文のその理由や具体例と同じになるはずはない」ということがおわかりいただけると思います。課題文の意見に反対の意見・立場の場合は、そもそも立場が異なるので、必然的にそれに対する理由も具体例も課題文にあるものと違うものを用意する必要があり、こうしたことが問題とはなりません。しかし、賛成の場合は「同じ立場となるため課題文と同じ考えになる」と考える人がいるようです。

 そもそもあなた(小論文の書き手)から見て、課題文の筆者は「絶対的な他者」です。その筆者と何から何まで考えていることが同じということは現実的にありえません。その課題文に賛成だとしても、あなたはあなたで、自分がどういう理由からその課題文に賛成したのか、またその意見に賛成であることを説明する具体例を別に挙げるべきなのです。

まとめ ~「自分の意見を書く」とは自己とそれ以外(他者)を峻別すること~

 自分の意見を書いて提示するということは、同時に、自分とそれ以外(他者)を峻別する(厳格に分ける)こととも言えます。くしくも課題文と同じ意見・立場(賛成意見)である、これも立派な自分の意見です。しかし賛成ならば、自分はどう考えてその賛成する立場となったのか、自分の意見に対する独自の理由や具体例を示さないとそれは「自分の小論文」としてまとまりません。重ねて言いますが、このときに意見や立場はおろか、理由や具体例でさえも課題文と同じということになってしまったら、それは「自分の小論文(意見)」ではなく「課題文の内容をまとめたもの(課題文の筆者の意見)」となってしまいます。課題文にある内容や情報と自分の考えたこととは分けて考え、しっかりと自分の意見を提示するようにしましょう。

(「自分の意見を述べるのが苦手」という方には、こちらの本をオススメ。フランスの高校生たちが受験する高校卒業認定試験(バカロレア)の哲学科目対策をアレンジした5つのステップで、自分の意見の立て方が身につきます。)


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