昭和1ケタ世代の「カミナリ親父」。
グループホームの職員時代に昭和八年生まれのS八さんという方がいました(10人兄弟とはいえ、昔の名前の付け方は大胆です)。
私はこの方を通していわゆる昭和一ケタ世代(昭和元年から昭和9年までに生まれ成長期が戦争と丸かぶりしていて学校で厳しい軍国教育を受けていたのに学校を卒業する頃には戦争が終わり、大きな価値観の変容を体験した世代)の家長としての迫力を間近に体験する事ができました。
私の親族は戦中生まれか戦後すぐの団塊の世代が多かったので昭和1ケタ世代と接した経験があまりありませんでした。祖父母は大正生まれでしたし。唯一、友人のお父さんで昭和1ケタ生まれという人がいて、その人からの話で私の昭和1ケタ生まれの男性への偏見は育まれました。彼がしきりに昭和1ケタ生まれの男はメチャメチャ厳しく横暴で頭ごなしでトニカクおっかないのだと繰り返し言っていたのです。友人は大分出身でしたから九州だったことも関係しているのかもしれません。S八さんも熊本出身の九州男児でございました。
S八さんはフロアのTVの一番、見やすい席にドンと陣取って座り、TVの前に人が立ち止まっていると「邪魔だ!どけ」、食事にはとにかく醤油をジャブジャブかけまくる。心配して声をかけると「なんだ?文句があるのか?」と威嚇する。一緒に暮らしているお年寄りが、ご飯がちゃんと食べられずこぼしてしまったり、椅子に座ったまま寝てしまったりしていると「だらしがない!なんだあのバーさんは!」と大声で怒鳴ったり・・・とにかく怖い「お父さん」でした。私は友人の話を聞いていたおかげで、その様子を客観的に楽しむ余裕がありましたが、若い職員からはかなり恐れられていました。
そんなわけでS八さんは周囲の人間に対してかなり横柄で横暴な人でしたが、その分?自分にも厳しく、そして自分の生活を律している人でした。他者への配慮、他者への感情の制御は全くせずに自分なりの秩序を見出すもののに対して常に怒っていました。「カミナリ親父」と言う言葉も昔はあったくらいですから、家長とはそのようなものだったのかもしれません。周りの入居者も職員もほとんどが女性もしくは年下の男性でしたから、認知症の影響もあり、自分をそのフロアの家長であると感じていたのかもしれません。
自分の邪魔をされると激昂しますが、邪魔をされなければ毎日粛々と規則正しく自分の生活をされる方でした。
朝起きてお茶を読みながら新聞を見て食事が終わったら昼寝をしてという生活習慣を頑なに守っている姿は、ある意味、小津安二郎の映画にそのまま出てきてもおかしくないかつての日本の「父」そのものようにも見えました。
(S八さんは「カミナリ親父」ですから笠智衆の演ずる「寡黙な父」とはキャラが全然違いますけれど)
起きているときは新聞を読むか雑誌を読むか、外がよく見える窓際の一番いい席に陣取っていたこともあり、窓の外を見て鳥を見つけると「おートリがいるよ」と感嘆の独り言をおっしゃていました(登山好きで元気なころは色んな山に登っていたそうです)。そして夜、肌着と股引き姿でトイレに起きてくると「おー徹夜かね?ご苦労さん」と必ず、労ってくれました。時には「おおー泊まりですか。ご苦労様です」と言って丁重にお辞儀をされることもありました。
昼間の様子があまりにも横暴で横柄なので敬遠する職員もいましたが、私はS八さんは職員に頼ることなくある意味、自分の時間を自分でちゃんと過ごせる人だなーと思っていたので、そういうところはとても尊敬していました。
そしてS八さんが亡くなった後、娘さんのご厚意でお葬式に参列させていただきました。その時のお坊さんが、S八さんは自分が小僧の時から、お寺に来ると自分が掃き掃除をしているのを見て「ご苦労様です」と必ず声をかけてくださってくれて、それがとても嬉しかったと言う話をされていました。
ああ、S八さんらしいなぁと思い、きちんとお辞儀をされている様子が目に浮かびました。