カナダに住んで228日目、美術館からのメッセージ。
トロント市内にある美術館、AGO(Atr Gallery of Ontario)は水曜日の夜は誰でも無料で入ることができる。
わたしは企画展の内容をこまめにチェックしていて、今回は北米出身の印象派画家がテーマとのことだった。
わたしは"印象派の絵画に癒されたい"という気持ちで足を運んだ。
いかにも印象派らしい作品に一瞬で引き込まれて、その世界観に没頭するように、脳内にはクラシック音楽でも流れているかのように優雅に鑑賞をした。
どの作品も光に基調として、その場の雰囲気や印象はやわらかく繊細に捉えられていて、ひとつひとつに込められた敬意や愛情を感じることができる。
次から次へと魅力的な作品ばかりが目に入り、浮き立つ気持ちに背中を押されるようにして足を進めるうちに会場内の中央まで来てしまっていた。
ふと我に帰って辺りを見回すと、気軽に立ち寄ったような若い人たちの賑やかさに包まれていて、わたしはその空気感を写真に収めたいと思った。
”ゴッホの絵は見れないの?”という少女の声も聞こえた。
わたしは先を見ながら耳に入る音を遮断して、また絵画と自分だけの世界観に入って残り半分ほどの作品を楽しむ心の準備をしようとした。
もしこれがただ"上手な(もしくは名声のある)印象派"の企画展だったら、それはそれでわたしは満足だったし、元々そういう目的でもあった。
でも、もし何の違和感もなく、この企画展の本質を得られないままで帰宅していたと想像したら、それは恥ずかしく勿体無いことだったとも思う。
とにかく、わたしはこの時にある疑問が浮かんだ。
"描かれているのは一体誰なんだろう?"
ここまで観てきた作品の多くが日常の風景であり、また誰か身近な人物を観察してそこに愛情や意図を持って描かれているようだった。
目の前にあった作品と改めて向き合い、その解説をじっくりと読むことにした。
子守りをする女性がモデルとなっていること、その女性は子守りをしながら読書に夢中になっていること、それが作者の意図だということ、何よりも作者のアーティストとしての情熱や意欲が”光”として描かれていること。
全身に鳥肌が立つ思いがして、その瞬間まで見逃してしまっていた"中身の濃さ"にやっと気づいて、始めから見直したい思いが込み上げた。
まるで思い出のアルバムのような、日常を切り取った場面や人や自然のありのままの飾らない表情、その全てがさらに輝きを増していた。
のちに、彼女たちの作品が日常的かつ身近な人物や景色に焦点を当てて描かれているのは、男性と比べて行動に制限があったからだと知る。
その中でも、女性の働く姿や子供のケアをする姿を、愛情や希望を通して観察し、言葉の通りに"光を当てて"描くことは紛れもない才能である。
印象派という画法だけにとどまらず、時代背景や作者の人生、その目に映っていたもの、そのストーリーにこそ魅力があると教わることができた。
たとえ知識がなくてもそういう楽しみ方ができるように、企画展をしっかりと丁寧に構成しているAGOはやっぱり素晴らしい美術館だと思う。
”Now please don't let your ambition sleep."
(今、あなたの野心を眠らせないでください。)
癒しを求めたはずだったが、思いの外わたしは励まされていた。
AGOのみなさんにいつも素敵な展示をありがとうの気持ちと、次回の企画展『KAWS:FAMILY』も楽しみにしていますの気持ちを込めて。