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H・D・ソローの「市民的不服従」とインボイス

  ネイチャーライティングを読んでいる。

 ネイチャーライターのなかにも、移民受け入れ反対派のいう「不法滞在」をどうするか、についてふたつに分かれる。

 私の尊敬するソローには、その有名な奴隷制度と米墨戦争に反対し、人頭税を払わず、1日だけ牢屋に入った市民的不服従の思想がある。南北戦争が始まる前に結核で亡くなるものの、奴隷制度に反対し、奴隷のために、アメリカ史初の武装蜂起をしたジョン・ブラウン大佐を擁護する論文もある。

一方で、エドワード・アビーにみられる(エドワード・アビーは無政府主義者でなんども離婚と結婚を繰り返し、自らの葬式は乱痴気騒ぎを望んだ)非正規滞在に反対する者、そして、それに影響をうけたデイブ・フォアマンたちのアース・ファーストにみられるような極右の一群がいる。

 現在の政治の世界でもそうだ。グレタ・トゥーンベリさんはスウェーデンのサーミ人のための活動をしているように人種問題に寛容である。一方の極はあのトランプである。極右に走る人と、ローカルな生活世界のなかに理想を映し出し、そのために移民にも寛容になれるローカリズムの人がいる。もちろん、その抑圧に対するグローバルな政治展開の可能性もある。

 しかし、ソローが市民的不服従と名づけた非暴力不服従でも、誤った解釈が跋扈している。ゴッホ(私はゴッホの絵がプリントされたTシャツを数枚持っている)のひまわりにトマトジュースを投げつけたジャスト・ストップ・オイル(JSO)は名付けるなら暴力的不服従である。ソローはそんなことは言っていない。

 市民的不服従とは、ソローに影響をうけたガンディーが宗教的視点からも、自らを律することを唱えたように、厳密な内省のうえで、節制のうえで、この制度だけは従わないという意思を貫くものである。

 現在、市民的不服従をするとしたら、インボイスである。インボイスとは、これまで個人事業者は確定申告で消費税は支払わなくても良かったが、会社か個人事業者のどちかが払わないといけなくなり、会社が払う場合は、仕事が減らされ、自分が支払う場合は減収入という、国民を引き裂くものである。私はインボイスをしなかった。

 インボイスで集めたお金は冗談ではなく、国防費に使われる。私はインボイスをしなかったが、いまのところ、仕事は変わらず来ている。だれか、悪知恵を働かせた者が政府にいる。インボイスをしないという選択は、反戦を掲げる非暴力不服従に充当するといって良いのではないか。一考して頂きたい。

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