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天狗の村

「あたげん桜、枯れしもとっとだろ?切りなっせ。危にゃーばい。」
いつも声掛けしてくれる三軒先の作造爺さんのよく通る声が、俺がいる裏手まで聞こえてきた。
うちのタエ婆ちゃんとは、いい茶飲み仲間だ。
「そんうちにゃ切っけん。」
「早よせんば。天狗ん来っばい。」
「なんやて?天狗てや?どけ来たつや?」
「うちたい!夕べも天狗ん風が吹いちかる、たいぎゃ葉が落ちてしもうた。よー来なさっとたい。」
「なーーんな!うちにゃ、いっちょん来んけん。好かんとだろ。」
この地域では天狗とか鵺とかは当たり前に会話に出てくるし、火の玉なんざ子供が捕まえにいこうかとするほどだ。
生まれた時からこうなので、妖怪とかは身近すぎる存在だ。
先日も河童の皿が見えたので、悪ガキどもが石を投げて怒らせたと言っていた。
ここは肥後国の山間にある部落だ。
よくある話で、平家の落人が先祖という話もあるし、九尾の狐が祀られていたりする。
だが俺はその類は見たことがない。
だからいつも、ヘラヘラ笑ってやり過ごしている。
下手に絡まれても困る。
今日は母さまと一緒に、栗を売りに町まで行かなければならない。
栗はよく採れる。
部落の栗林はしっかり管理されているので、泥棒など入った試しがない。
「母さま、もう行くど?」
「ああ。ちょい待ち。」
母は白い蛇の像がある神棚に手を合わせていた。
我が家では昔からこの白蛇がご本尊になっている。
なんでも、昔に白蛇が現れて、家を洪水から守ったとか。
まあ確かに川はあるが、増水してもたかが知れている。
そんなところで白蛇が出てきて水を堰き止めるなんてあるわけないって思っていた俺だが、村の習慣にも家の習慣にも慣れなくてはならないわけなので、黙っていた。
親父殿は早くに忌んでしもうて、俺は早くから言えの手伝いをしていた。
「はいよ、行こうかいね。お母さま!行ってきます。」
婆ちゃんとは母さまはいつも静かにケンカしていて、返事はなかった。
母さまと歩いていき、町で栗を売った。
町ではそういう商いをする者が市場に集まっていて、それなりの仲間もいた。
「おお、弁太。売れそうかい?」
「どうやろ?この頃はちっと余るごたる。」
鮒売りの権太郎が声をかけてきた。
ここの鮒は柔らかくてうまい。
俺も晩飯用に買って帰るときがある。
「お前、噂聴いたか?」
「噂?なんやそれ。天狗でも出たんか?」
「なんや、知っとるとや。」
「・・・ほんなこつや?どけ?」
「そるがたい、ほれ、あの一本杉があるやろ。あのてっぺんに立って笛ば吹いとったそうたい。」
「笛ばや。はー、そりゃまた風情ある天狗さまたい。」
「そるがたい、見たことない天狗ちいう噂ばい。」
「どげん違うとや?」
「見たもんの話しやと、背に団扇かなんかがついておってな。風ばようけ吹かせて浮いていたらしかばい。」
「・・・プッ。わっはははは!団扇で空ば飛ぶとや?そるはまた、痩せた天狗ばい!」
「噂たい!」
「天狗さま、オレは見たこつがなかけん、いっぺんどん見てみたかね。」
「アホ。ケツから腸ば抜かるっとぞ!」
「そるは河童たい!」
俺は村の皆とは違って、神仏妖怪などは一切信じていない。
会ってみたいと思うは当然だ。
栗も売れてしまって、母さまは晩飯用の豆腐を買ってきていた。
「さあ、帰ろうかね。」
「はいよ。」
俺と母さまは空の竹籠を背負い、帰途についた。
部落は山ひとつ越えたところだ。
俺は平気なのだが、母さまは近ごろ休むことが多くなってきた。
この日も道を登り切ったところで、母さまは石に腰かけた。
「・・・疲れた。ちっとばか、休もうかね。」
「母さま、顔色悪かばい。おぶろうか?」
「いや、休めばよか。」
母は何気に頑固者で、肥後弁で言うところの「もっこす」だ。
まともに言う事を聞いた試しがない。
好きにさせるしかないので、俺も腰を下ろして休んだ。
キセルを取り出してタバコに火をつけ、くゆらせるとホッとした。
母は嗜まないので、汗を拭きながら時々ため息をついていた。
「うん?」
タバコの煙が急に横に流れ始めた。
強くはないが、風は吹いてきたようだ。
もう秋も終わろうとしていて、よく風向きが変わる。
「母さま、そろそろ帰らんばいけんごたる。平気な?」
「ああ、こっからは下りだけん。」
俺と母さまは山道を下り始めた。
収まると思っていた風は、下るほどに強くなってきた。
おまけにすごい音がしていた。
何の音かわからなかったが、母さまは眉をひそめて怖そうにあたりを見渡しながら歩いていた。
「弁太・・・なんか、音が・・・。」
「は!?よー聞こえん!」
「風が!強か!歩けん!」
確かに、立っているのがやっとだった。
俺は母さまの肩を掴んで、強引に座らせた。
「危なか!座っておんなっせ!」
俺は母を座らせてから、あたりを見渡した。
木々も激しく揺れていた。
だが、その揺れ方が違っていた。
普通は横に揺れるのだが、上から風が来ているようだった。
「母さま!ちっと見てくっけん!待っとって!」
俺は立ち上がり、手拭いで顔を巻き、日差しを避けるために作った竹編を被って少し歩いた。
音はますます強くなり、前傾姿勢でないと飛ばされそうになる。
しかし傾きすぎると上からの風なので、地面に叩きつけられそうになる。
俺はギリギリの姿勢で、風の向きに歩いていった。
すると木々が倒れている場所に出た。でかい杉の周辺だけがきれいになぎ倒されていたのだ。
「こるは・・・どげんなっとるとや!」
俺はつい叫んでしまった。
怖かったのもあったのかもしれない。
妖怪や幽霊は信じないが、こんな自然は強く感じるのだ。
俺は木々や草が倒されている場所に足を踏み入れた。
「うわあ!」
俺は足元に強い衝撃を感じて、その場に倒れた。
しかし倒れても衝撃は断続的に襲いかかってくる。
俺は必死で立ち上がり、近くの岩に登った。
岩の上では何も感じなかったので、俺は改めてこの場所を観察した。
ここの杉は、確か権太郎が言っていた一本杉のようだ。
するとこれは天狗の仕業なのだろうかと、俺は思った。
こんな強い風を吹かす天狗なら、どんな化物なんだろうと思い、俺は杉の上に視線を向けた。
その瞬間だった。
声ではない声・・・心から心に入ってくるような声が聞こえてきた。
『お前は何者だ。この星の生物が入ってくることはできないはずだ。』
俺は何がどうなったのか見当もつかず、ここを離れたいと思った。
『まだだ。お前が何者か知らねばならない。』
俺は思った。
この天狗とは思うだけで話ができるのかもしれないと。
『察しがいい。それでいい。お前は何者だ。・・・弁太、と言うのか。それでは、お前を調べるとしよう。』
すると何かが降りてきて、俺の頬に触れて去っていった。
「な、なんや!何ばしたつや!」
『すぐにわかる・・・なに?なんだと?』
(なんや!)
『お前は・・・そうだったのか!となれば・・・。』
天狗からの声は止まり、猛烈な風も止まった。
俺は上を見ているうちに、足が地面についた。
「・・・痺れん。天狗はおらんごつなったとか?」
史への衝撃もなくなり、俺は地面に立った。
もう風もなくなり、静かな山の景色が広がっているだけだった。
「なんだったつや・・・。」
俺は母さまのところに戻り、完全に腰が抜けてしまった母さまをおぶって山を下っていった。
家に戻り、祖母ちゃんに今日あったことを話した。
「・・・そうか?・・・ほんなら、話しておかんばねえ。」
「なんばね?」
婆ちゃんは仏壇から、拳ほどの大きさの、鈍く光る石を取り出した。
「こるはな、うちに伝わるもんたい。ご先祖さまはな、まだこの国に大王様が現れるもっと前に、ここにおらしたてたい。ほんで、こるが伝わっておったもんでな。合わせ鉄や。」
「合わせ鉄?色んな鉄を混ぜたものってこつ?」
「ああ。あの頃にはこんなもんを作れる者などおらんかった。ご先祖さまは銀の色をした服を着た天狗さまだったと言われておってな。」
「え?なんね、そるは?」
「天狗さまはな、背中にでかい筒を背負うておって、突き出した鼻の被り物をされておったそうな。そして、この国におった人に子を孕ませたとな。その末裔が我々たい。」
「・・・俺たちゃ、天狗の子孫ってこと?知らんかった!・・・あ、だけん、あの天狗さまは去っていきなはったとかな。」
「そうじゃろう。天狗さまはな、あちこちに種を撒いていくのが仕事やちゅうこったい。その子孫がいつか、天狗さまの仲間になる・・・のかのう。そこまぢは、わからんたい。」
俺は、後から思えば、本当に素直に受け入れていた。
婆ちゃんボケたって思っても良かったはずなのに。
それからしばらくして、祖母ちゃんは彼岸に行ってしもうた。
俺は母さまと暮らしておったが、やがて嫁をもらうことになった。
俺には過ぎた女子で、よく家を切り盛りしていた。
母さまの苦労も随分なくなっていった。
やがて男の子が生まれた。
可愛い子で、俺は溺愛していた。
そんなある日、嫁が村の用事で出かけておった。
俺は倅の面倒を見ていたが、疲れてうつらとしてしまった。
目が覚めると、倅の姿は消えていた。
俺は焦って家じゅう探し回った。
家の中にはいなくて、外に出た時、俺は信じられないものを見た。
倅が横になったまま、浮いていたのだ。
手にはあの合わせ鉄を持っていた。
とても赤子が片手で持てるようなものではないのに。
倅は俺の姿を見て、にっこり笑った。
すると倅はすーっと俺に近寄って飛んできて、俺の腕の中にすっぽり収まった。
そしてあの、心でしか聞こえない声が響いてきた。
『よろしくな、わが末裔よ。』

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